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ふるさとは官兵衛ブーム 旭堂南海師(内海浩明氏・高35回)の「かこがわ学講座」

 

旭堂南海2  旭堂南海3

軍師官兵衛_NEW

 

上方講談師・旭堂南海さんの「かこがわ学講座」が2月8日にあり、その模様が2月22日にバンバンテレビで放送されていました。

このDVDを拝見したのですが、「わが志方は今や神武以来の脚光を浴びています。」とユーモアたっぷりに語ってられました。

講談では御着、曽根、宝殿、志方そして城山など、お馴染みの地名がポンポン登場して面白かった。もちろん 加古川も。

志方城・櫛橋氏、加古川城・糟屋氏が西遷御家人だったとは知らなかった。てっきり土着の豪族だと思っていました。勉強になりました。

内海浩明氏は志方町西牧のご出身で、阪大文学部を卒業後この途を進まれています。今や上方芸能界ではなくてはならぬ人物です。

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いつか機会があれば、東京でも同窓生の高座を拝聴したいものです。

■スタッフ注:「かこがわ学」とは加古川観光協会が主催する「加古川検定」と連動するもので、加古川の歴史やスポットを市民の皆さんと勉強していこうと始められたものです。

これは同じDVDにあった、高御位山の映像です。おまけです(笑)。

高御位山1  高御位山3

 

渋谷秀樹氏(高25回)新刊 「憲法への招待」

渋谷秀樹2         渋谷秀樹

 

この本は憲法を基礎から知るための本です。

いま、憲法を取り巻く情勢は風雲急を告げています。日本国憲法の思想と骨格を平目に解説。

社会問題となっている事象と憲法の関係をときほぐす、市民のための憲法入門です。

憲法は、私たちの日々の暮らしにどのような意味をもつのでしょうか。そのことを、これから一緒に考えましょう。(著者前書きより抜粋ご紹介)

渋谷秀樹氏は現在、立教大大学院教授。我国の憲法学者、第一人者として活躍されています。この本は新版ですが、旧版は16刷まで出されてました。

岸本芳也氏(高25回)・「米国発明法の特許防衛戦略」

米国知的財産にかかわるリーガル・アドバイザーとして活躍されている、同窓生・岸本芳也氏の近著(2013年6月)をご紹介します。

岸本芳也著書

広瀬敏郎氏(高18回)のCDが出ます。

広瀬敏郎(18回)CD情報

シャンソンガイドより

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「昭和の戦争とおじいちゃん」(7・完)竹内 隆氏(中21回)

旧制加古川中学校正門

旧制加古川中学校正門

 

旧制加古川中学

右は講堂。左は第一校舎。

ー卒業ー六・三制-男女共学ー

昭和23年3月、旧制中学5年生で卒業しました。

そして4月から新しい教育制度の六・三制が始まりました。

新制度では小学校の六年生は同じですが、高等科2年を1年延長して新制中学を3年としました。そして高等学校を3年、大学を4年としました。

 

 

 

男女共学にするために加古川中学と加古川高女の教師と生徒を二分し、誕生した西高と東高。くじ引きで決定した!昭和23年7月1日、この日が運命の日となりました。

私の卒業年次は中学21回生、高校1回(昭和24年3月卒業)も同級生となります。(完)

 

旧加古川高等女学校

旧制加古川高等女学校

 

「昭和の戦争とおじいちゃん」(6)竹内 隆氏(中21回)

終戦ー終戦ー 昭和20年8月15日

「堪エ難キヲ堪エ、忍ビ難キヲ忍ビ」天皇の玉音放送です。これで戦争が終わりました。学校からは、終戦に関する連絡は何もありませんでした。学校工場だった体育館は、旋盤などの工作機械が持ち去られガランとしていました。

終戦翌年、昭和21年4月、中学4年生になりました。軍国主義で固められていた学校がデモクラシーの旗印を掲げてスタートすることになりました。教師の中では配属将校がまず首になり、教練や武道も禁止されました。敗戦国の哀しき姿です。

戦艦ミズーリ上での降伏文書調印。勝者はポケットに手を入れたまま。

戦艦ミズーリ上での降伏文書調印。勝者はポケットに手を入れたままの傲慢な態度。敗戦国の屈辱的な一葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー戦後の高砂線ー

高砂北口駅でレカーに乗ると、始発の高砂駅ですでに定員オーバーになっています。山陽電車からの乗り換え組が乗り込むので、ぎゅうぎゅう詰め。積み残しも常時でした。戦時中には、女学生が座席を取るということはほとんどありませんでした。戦後もしばらくすると女学生が自由に座席を取るようになり、向かい合わせの4人席で加古川高女の女生徒たちと一緒に座ることもありました。

レカーは尾上駅で明石方面から来た山陽電車の客を乗せて北へ曲がります。北在家駅ではほとんど乗降客はありません。別府軽便鉄道と接続する野口駅を出て、山陽本線を越える跨線橋にさしかかるとエンジンがうめき声をあげ今にも停車しそうになります。頂上を過ぎるとエンジンを停めたまま惰力で加古川駅の構内へ向かって下っていきました。

ぎゅうぎゅう詰めの通学でしたが、戦時中と違って車内は明るく華やいでいました。

旧高砂北口駅

旧高砂北口駅

 

 

 

 

 

 

 

旧尾上駅

旧尾上駅。上は山陽電車・尾上の松駅。

 

「昭和の戦争とおじいちゃん」(5)竹内 隆氏(中21回)

ー加古川空襲ー昭和20年2月12日

空襲警報が発令され、校舎を出て待避するよう指示がありました。いつも空振りに終わっていますから、この日も、なんの緊張感もなく校舎から外に出て、運動場のポプラの蔭に立っていました。

その時突然加古川駅の方角から家の屋根をかすめるように艦載機が姿を現しました。

運動場にいた生徒が蜘蛛の子を散らすように校舎や塀の蔭へ逃げ込んで身を隠しました。

艦載機はW型の主翼とずんぐりした太い胴体からグラマンF4Uコルセアだとすぐわかりました。そのグラマンが、運動場に突っ込むような姿勢で迫ってきてババババン、ババババンと機銃掃射をしました。低空飛行だから、操縦席の飛行士のヘルメット、飛行メガネ、メガネの奥の青い目までが見えました。グラマンは高度を下げたまま飛び去って見えなくなりました。

・・・尾上飛行場の松林の向うからグラマンがフイッと姿を現したのです。あっという間もなく、グラマンは、鶴林寺の塔をかすめて舞い戻ってきました。今度は機銃掃射をすることもなく体育館の屋根をかすめて飛び去りさっていきました。このとき、学校がこうむった被害は、体育館の屋根の明り取り窓に薬莢が当たってできたわずかな破損だけでした。しばらくして、駅前の日毛のグラウンドで女工がやられたらしいということが伝わってきました。

昭和20年の7月になると加古川へも艦載機が繰り返し飛来してきました。

スタッフ注:加古川市などの古い記録には、艦載機(グラマン)による銃撃は次の3件が記されています。

7月23日、加古川駅を機銃掃射。7月24日、3機が加古川駅の急行列車を銃撃し死者1名その他負傷者数名。7月30日、日毛加古川工場と寺家町3丁目に爆弾投下。死者2名その他負傷者数名。

「昭和の戦争とおじいちゃん」(4) 竹内 隆氏(中21回)

 

ー勤労奉仕・農家の手伝いー

昭和19年1月に「緊急学徒勤労動員要綱」が公布され、今年は、勉強をやめて軍需工場やその他で働きなさいということになりました。

学校では勤労報国隊を設置し、男子生徒は勤労学徒、女学生は女子挺身隊員と呼ばれて軍需工場へ派遣されました。

農家での勤労奉仕は、農繁期に出征農家の田植えや稲刈りをお手伝いするのはやっていましたが、食糧増産は銃後の大切な勤めで当然の義務だと自覚していました。

加古女と一緒の時もあり、握ってくれた銀シャリの握り飯はおいしかった。

ー尾上飛行場ー

飛行場での勤労奉仕の作業内容は、格納庫での機体整備、周辺の松林に飛行機を隠すための掩体壕作り、飛行機を移動する手伝い、松根油をとるための根っこ掘りなどでした。

飛行場には、いつも学校で見慣れている訓練飛行の赤とんぼや九七式戦闘機が駐機していました。

赤とんぼは主翼も胴体も赤色の布張り複座で、前の席に練習生、後部座席に教官が乗って初歩の飛行技術を習得するための訓練機です。

学校の近くに飛んで来る赤とんぼの中には、吹き流しを曳いているのがありました。その吹流しは、九七式戦闘機の射撃訓練の標的です。

ときには、吹き流しが校庭に堕ちてくることがありました。飛行訓練は常時、学校の近くの空中で行われていました。

いつも飛行機を眺め、教室で勉強している時も爆音を聞いていました。

 

 

井本史夫氏(高16回)・「シニア犬のケアと介護」

井本史夫氏(高16回)

経験豊富、動物医療の第一人者・井本動物病院院長・井本史夫氏が、永年の家族の一員”シニア犬とのいい時間”を説く。

NHKテレビテキスト・2013年7月―8月 「まる得マガジン」が6月22日から発売されています。

<Eテレ放送時間>

7月1日~11日 月~木 21:55~22:00 再放送は翌週 月~木 11:55~12:00

8月19日~29日 月~木 21:55~22:00 再放送は翌週 月~木 11:55~12:00

 

まる得マガジン・2013年7月-8月

以下はページの一部です。

「昭和の戦争とおじいちゃん」(3) 竹内 隆氏(中21回)

―武道-

そのころの中学校では、正課の体育の時間に柔道と剣道の両方を習い、教練の時間には銃剣道を稽古していました。

剣道や柔道を稽古する大きな武道館は、体育館とは別棟で、運動場にありました。

運動場後方の大きな建物が武道館

武道館の中は、板張りの剣道場と畳敷きの柔道場が、ひと続きの大広間になっていました。柔道は宮川徳一先生(徳さん・ちょびひげ)でした。白帯、茶帯そして黒帯の先輩は先生より恐かった。

別室は、手入れの行き届いた三八式歩兵銃や木銃が収納してある兵器庫になっていました。

 

-農業実習-

農業という時間がありました。

学校には、運動場を囲った低い塀の向こうに菜園程度の実習園がありました。

実習園の向こうに続く田んぼの中に高砂線の野口駅があり、別府からの軽便鉄道が接続していました。

高砂線は、高砂の軍需工場へ行き来する貨物列車が往来していて、別府線は神鋤印(かみすきじるし)の多木肥料のある町まで通じていました。

農業の先生に、サツマイモのつるの植え方には水平植え、斜め植え、舟底植えなどがあることと、そのうち、舟底植えの収量が最もよいことを教わりました。

農林一号の苗はお盆の頃になると、畑が地割れするほど大きなイモが育っていました。

■スタッフ注:写真は旧制中学アルバムから拝借しました。