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被災地・同窓生の皆さんから、お便り(5)

4月2日 栃木県那須町・田中一郎氏(高2回生) 「前略 震災見舞いのお便り拝誦、ありがとうございます。あの大激震が襲った時、凄い家鳴りの中、『大津波が来ます。避難してください。』とテレビがはりつめた声でくりかえしていました。あれから三週間経ちますが、被災者が『なにもいえません』と何度も言っています。大自然の巨大な力をまざまざと見せつけられ、残された惨状を前に思考力は疎か感情や感覚さえ萎えてしまった。いや考えることが多くて整理がつかない。悲しい諦めなど胸の中に閉じ込めたから、等々想像するだけです。影響力のある言葉ですね。原発も大変ですね。思うに政治家もこの事態に及んで慌てて勉強したという印象、学者も『知見が』どうとか、事故後の対処法など過去の事例がないことで適切、適確な意見を出せないように思える。だから世界中、慌てふためいていますね。命を張る現場で働いている人達のお陰で何とか収束に向かっているように思えるのですが。冗句くだくだとご容赦あれ。頓首」

4月3日 茨城県水戸市・北村(金沢)千栄子氏(高21回生) 同期生からご連絡頂きました。「ご本人は元気です。神戸のお嬢さん宅へ避難されています。」

4月4日 福島県相馬市・大西幸広氏(高34回生) 「大西です。現在は本籍、住民票所在地は相馬市。実質は仙台市在住です。単身赴任で週末だけ相馬に帰る生活です。この度は、心温まる封書頂きありがとうございました。私は、大学卒業と同時に、就職先の職場が相馬市となり、それ以来ずっと相馬に住み続け丁度人生の半分を過ごしたことになります。幸いにも、私の家は中心部より高台にあり、物的にも人的にも(色々ありましたが)被害なく助かりました。20年以上住み続けていますと、親戚、友人も多く、非常につらい結果にも遭遇して心を痛めています。福島県は、原発の関係もあり、報道関係も余り入っていないので見過ごされがちですが、宮城県、岩手県と同様に無残な状況です。原発周辺は捜索の手も入っていないと思います。今回の件で、小山さまが加古川東出身だということを初めて知りました。現状、相馬のために何も出来ていませんが、これからの復興は長い時間を要すると思いますので、徐々に永く協力してやっていこうと考えているところです。」

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