山陽本線あれこれ(8)

【姫路駅に進入する特急「かもめ}】
昭和30年代前半の山陽本線では京都~博多間を結ぶ「かもめ」は唯一の昼行特急だった。この当時は西明石以西は未電化だったため、京都~下関間はC59が牽いていた。

昭和33年4月に姫路まで電化が完成し、C59もEF58に交替する。ヘッドマークがなければ特急とはわからないような列車だった。(昭和32年姫路駅手前)

「松右衛門帆」 高砂ブランド協会が再現

松右衛門帆バッグ 高砂市観光案内所で販売中

高砂神社の松右衛門像

江戸時代、高砂出身の海運業者で発明家でもあった工楽松右衛門(くらく まつえもん)が開発した帆布「松右衛門帆」を再現した。

松右衛門(1743~1812)は高砂の船乗りの家に生まれた。発明家として知られ蝦夷(えぞ)地の開発にも尽力した。司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」にも、高田屋嘉兵衛と共に描かれている。この帆を使った北前船のミニチュアなどは兵庫県博物館(姫路市)に展示されている。

工楽の名前は、築港などへの功績に対して幕府から与えられた。松右衛門ゆかりの港は少なくとも6ヶ所あると云い、同協会では、ゆかりある全国の港町で販売しようと商品開発を進めている。

松右衛門帆 matsuemon-ho で製作した”トートバッグ”、”ショルダーバッグ”などは、ネットでも購入できます。Facebook フアンページ 「松右衛門帆」

山陽本線あれこれ(6)

【魚住~土山~東加古川間】
山陽本線の複々線は電車区間終点の西明石までで、そこから先、レールは複線になる。車窓風景は一変し、開けた播州平野を疾走する。魚住、東加古川両駅共昭和36年の開業。それまでは大久保~土山~加古川間は駅間距離が長かった区間として知られていた。

写真下は土山ー東加古川間の九州直通急行「つくし・べっぷ」475系。小倉から博多・大分と行く先が分かれた。(昭和47年)

写真上は気動車特急「おき」。新大阪~出雲市間を結びキハ181系10両編成だったが、なんと食堂車連結特急だった。(魚住~土山間、昭和47年)