山陽電鉄・「平清盛号」が走行。

NHK大河ドラマ「平清盛」の放映にあわせて、(姫路ー阪神梅田間・直通特急にラッピング電車「清盛号」を、1月23日から1年間走らせる。

沿線には兵庫区を中心に源平ゆかりの史跡も多い。皆さん ご帰郷の時、この電車に会えるかも。

山電特急「清盛号」

山陽本線あれこれ(9)

生まれ故郷の川崎重工前を走る

和田旋回橋

回送中

支線の一つ、和田岬線(兵庫駅~和田岬駅間2.7Km)のご紹介。

湾岸部の工場地帯への通勤輸送に特化した路線で、休日には朝晩1往復ずつの計2往復のみと極端に本数が減る。

現在の主力はスカイブルーの103系が1編成のみ。昔は列車のデッキに鈴なりの出勤風景が見られた。103系は川崎重工製なので、まさに生まれ故郷を走っていることになる。因みに川崎重工の正門内には、昭和を代表する特急列車の181系と新幹線0系が仲良く並んで展示されている。

写真 須磨~塩屋間を回送される103系。方向幕は「兵庫~和田岬」のまま。

和田旋回橋を渡る103系。かっては、船を通すために旋回していた。レンガ積みの橋脚や橋台は明治生まれ、レトロ中のレトロな存在として知られている。橋の近くには廃駅の「鐘紡前」もあり、わずかにホームの跡が残っている。

山陽本線あれこれ(8)

【姫路駅に進入する特急「かもめ}】
昭和30年代前半の山陽本線では京都~博多間を結ぶ「かもめ」は唯一の昼行特急だった。この当時は西明石以西は未電化だったため、京都~下関間はC59が牽いていた。

昭和33年4月に姫路まで電化が完成し、C59もEF58に交替する。ヘッドマークがなければ特急とはわからないような列車だった。(昭和32年姫路駅手前)

山陽本線あれこれ(6)

【魚住~土山~東加古川間】
山陽本線の複々線は電車区間終点の西明石までで、そこから先、レールは複線になる。車窓風景は一変し、開けた播州平野を疾走する。魚住、東加古川両駅共昭和36年の開業。それまでは大久保~土山~加古川間は駅間距離が長かった区間として知られていた。

写真下は土山ー東加古川間の九州直通急行「つくし・べっぷ」475系。小倉から博多・大分と行く先が分かれた。(昭和47年)

写真上は気動車特急「おき」。新大阪~出雲市間を結びキハ181系10両編成だったが、なんと食堂車連結特急だった。(魚住~土山間、昭和47年)

山陽本線あれこれ(7)

【加古川~宝殿間】
加古川鉄橋を渡りニッケ印南工場を過ぎると、宝殿駅までは一面の田んぼばかりでした。
写真は荷物専用列車を牽く上り線のEF58。国鉄時代、郵便や小荷物は鉄道輸送の一分野であり、幹線では専用列車が運転されていた。EF58、EF61牽引は車長も客車並みに長く人気があった。後方遥かに播州の山並みが見える。 ”島美人” の野だて看板も懐かしい。清酒島美人は播州では有名な銘酒。加東郡河合村粟生字島(現小野市)で醸造されていたのでこの名が付けられた。

加古川線あれこれ(13)

別府港駅

別府鉄道土山線・旧駅舎

土山線(土山ー別府港間 4.1キロ)。大正12年開業、昭和59年廃止。土山、中野、別府港の3駅があった。

国鉄山陽本線の海側に位置した土山線のホーム。貨車がない時は機関車1両に客車1両だった。

土山線の客車はおまけのような存在だから、ホームのないところから乗車することも(別府港駅)。

山陽本線あれこれ(5)

【須磨~塩屋、舞子~明石間】

最も地形が厳しい塩屋付近。電車線を走る米原行き快速電車。湘南カラー・113系8両編成で中央部にサロ110が見える。当時の快速電車には殆どグリ~ン車が連結されていた。まだ冷房車は少なく、天井にはJNRマークの扇風機が付いていました。左山頂に須磨浦公園ロープウェイが望める。(昭和49年、須磨~塩屋間)

上り大阪行き気動車特急「みどり」。大阪乗り継ぎで東京~博多間が日帰り可能となった。すれ違うはEH10が牽く下り貨物列車。(昭和37年、舞子公園)

明石は日本標準子午線(東経135度)が通る町。車窓からその通過標識が見える。