「加古川市制 60周年」 記念式典

6月19日 加古川市民会館で開かれました。司会役はTBS・杉尾秀哉氏(高28回)が務め、樽本庄一市長(高11回)から、「これまで市政進展を支えてくれた先達に感謝し、市功労者など皆さんの功績に敬意を表します」とあいさつ。又 住田裕子氏(高22回)など加古川ゆかりの著名人らからビデオメッセージが寄せられ「70周年、80周年に向けてさらなる発展を」と、加古川市の”還暦”を祝いました。

加古川市は1950年(昭和25年)6月15日に加古川、神野、尾上、平岡、野口の5町村が合併し、その後も加古郡(八幡、別府)、印南郡(上荘、平荘、東神吉、西神吉、東志方、志方、西志方、米田)など周辺町村と合併を進め、県内一の大河、加古川の清流を東西に挟み現在の市人口は約27万人と東播地域の中核都市に発展しています。この姿は市章(川を中心に丸く発展する)に象徴されています。当時 市内の高校は3校だけでしたが現在では東、西、南、北、農、工と計6校になっています。

写真左は杉尾氏。神戸新聞・東播磨版記事から抜粋しました。

30分で完売! 「はとバス ”昭和の懐メロ” ツアー」 が大人気

今回は清流会に何の関係もないお話(笑)。

3月に始まった「昭和の懐メロ」の舞台を巡るツアーが大人気。添乗するのは はとバスの復刻版の制服に身を包んだOGのバスガイドさん。周遊先の地名に合せて「ああ上野駅」「有楽町で逢いましょう」など約20曲を熱唱すると、お客さんからも大合唱がおこるとか。

昭和20~30年代の歌謡曲を中心に歌う『Aコース・懐かしの名曲で綴る東京ドライブ』と、昭和40~50年代のフォークソングを中心に歌う『Bコース・甦る青春、ヒット歌謡で綴る東京ドライブ』の2コース。どちらも2500円で昭和にタイムスリップ。

半日をかけて両国や浅草、皇居や銀座など東京名所を巡る。添乗するOGバスガイドさんは、50・60代が中心だが、最高齢で74歳のガイドもいるというからスゴイ!制服も当時のものを着用する。

今回、数十年ぶりに現役復帰するOGガイドさん達は、歌の練習と名所の勉強で猛特訓中だそうだ。「ロシア大使館をソビエト大使館といってしまった」など、微笑ましいエピソードも。お台場など当時なかった”新名所”は同乗する現役ガイドが担当し、新旧ガイド2人が助け合って案内をする。発売するや30分で即完売!キャンセル待ちは数百人。

気になる懐メロは、Aコース・「東京のバスガール」「お富さん」「リンゴの唄」「高校三年生」など。Bコース・「青春時代」「別れても好きな人」「学生時代」「お嫁サンバ」など。
懐メロを聴きながら、歌いながら、ノスタルジックに巡る東京は如何でしょう。下の写真のバスガイドさんに、風格すら感じるのは筆者のみか(笑)。

■スタッフ注:先日の「24歳の視点」 重い内容で脳力を損傷したので、機能回復のため普段(軽い脳力)に戻しました。ご理解を!
そう言えば修学旅行(高7回生・昭和29年秋)は、はとバスで東京見物をしました。

「江戸しぐさ」 其の参・(往来しぐさ)

今回も引き続いて(往来しぐさ)をご紹介しましょう。

「うかつあやまり」 うかつとは「うっかり、ぼんやり、不用意にという状態。人の足を踏んでしまったり人とぶつかったら、やった方が謝るのは当然ですが、こちらも 「とっさに避けられなかった私のほうもうかつでした、すみません」 と声には出さなくても,とっさのしぐさでその場に良い空気をつくれるのが 「うかつあやまり」 です。

「自分が悪くなくてもあやまるの?」 と思う人もいるでしうが、ここはためしてみよう。

うかつ 漢字では「迂闊」 と書き、「迂」 は回り遠い、うとい、にぶい、世間知らず、「闊」 はゆるいという意味を持っています。なるほど 江戸の人にとっては、うかつとは禁忌のしぐさだったのがわかります。

「駕籠止めしぐさ」 思いあがらずに謙虚にふるまえ。現代ではタクシーの運転手にも威張らない。社用車に乗れる身分になっても自宅の前からは乗らない。訪問先の玄関前まで乗り付けない。少し手前で降りて歩く位のそんな謙虚さといったことでしょう。

江戸の人は決して店の前へ横付けしなかったそうです。横付けするのは野暮でした。しぐさにはその人の考え方、育ち方の全てが出るものなのです。

階段でのすれ違いは上がっていく人が立ち止まる。階段でのすれ違いは、上がっていく人が立ち止まり、下りてきた人と同じ高さに並んだところで会釈して行き交います。下の人が立ち止まってくれたのですから、下りてきた人に「ありがとうございます」の気持ちがなければなりません。 以下つづく

死刑に犯罪の抑止力はあるのか

「死刑」と聞いてみなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
ギロチン・薬殺・電気椅子、様々な事をお見浮かべた結果、「恐い」と感じられる方が多いかもしれません。日本における死刑については、実はきちんと「刑法」という法典の中に記載してあります。刑法第11条1項 「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する」

この文言からわかるように、日本においては、死刑は絞首によって執行されます。詳細な方法は、気分を害される方もおられると思うので、ここでの言及は避けますが、日本においては死刑は法律の中にきちんと位置付けされています。
実際に死刑になる可能性がある犯罪というのはとても数少ない。外患誘致、現住建造物放火、殺人、強盗殺人、強盗強姦殺人など、ごくわずか。しかし、死刑の話になると必ずと言っていいほど国際比較されるのが、死刑廃止論・存続論という議論であります。

死刑になるのが恐いからという理由で犯罪をしないという人がどのくらいいるかは分かりません。ただ、実際の死刑囚に対して身上調査を実施し、「自分が罪を犯す時に死刑になる可能性を考えたか」という問いに対しては、殆どの死刑囚が「犯行時には死刑の存在を意識しなかった」と答えるようです。

死刑廃止論者の有力な論拠として用いられるのが先述のアンケート結果です。つまり、犯行時に犯人が死刑の存在を予期していないのであるから、死刑に犯罪抑止力はない。と。
なるほど確かに、実際に死刑囚がそいうのであるから、死刑はあってもなくても犯罪の抑止力に関係がないとも思えます。しかしながら、この調査の決定的な欠点は、「死刑囚にアンケートをとっている」ことです。

この方法では、実際に死刑を宣告された者のうち、どれだけの割合の人間が死刑を恐れたかということはわかりますが、逆のデータ、つまり「死刑が恐いから犯罪をやめようと思った」人の割合は算出する事ができません。この点において、前述の死刑囚アンケートは統計としての意味をなさないという意見が検察庁を始め警察関係者、死刑存置論者からは主張されています。
そのように考えるならば、死刑の犯罪抑止力はあるのかないのかは不明であるという結論を取らざるをえません。

さて、そのような議論を横目に、近年の凶悪犯の中で「死刑になりたくて人を殺した。誰でもよかったし、早く死刑になりたい」という者が現れます。記憶に新しいところでは、大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件の被告人、秋葉原14人連続殺傷事件の被告人が挙げられます。
ある種の「自殺願望」をもった人間が、自分で死ぬほどの度胸がないという理由で死刑になるような罪を犯している。このような自殺願望者の自殺の補助のために死刑が使われてしまっては元も子もありません。そんな使われ方をするのであればいっそ死刑などなくしてしまった方がいいのかもしれません。

池田小の被告人には判決後異例のスピードで死刑執行がなされました。彼自身は死刑を望んでいましたから、死刑という現行法上の最高刑は、多くの児童の命を奪ったたった一人の身勝手な男の人生の幕を下ろすために、被告人の「最も」望む形で運用されてしまったといえます。しかし、地下鉄でサリンを撒き散らした忌まわしき某教団の教祖と言われた被告人にはまだ死刑は執行されていません。

法律では死刑の執行は判決の確定時から6カ月以内と決められていますが、この規定はまず守られません。死刑の執行には法務大臣のサインが必要なので、その時々の法務大臣の思想により死刑がまったく執行されないこともあるのです。日本の刑事裁判は地裁、高裁、最高裁の三審制であると習った方もおられると思いますが、こと死刑に関しては最後の法務大臣のサインという四審目が事実上存在しています。

さて、脈絡のない文章になってしまいました。刑事政策上の死刑の存廃問題というのは、考えれば考えるほどよくわからないものになっていきます。国際的な流れに沿えば死刑が存置されている国のほうが圧倒的に少ないのですが、日本国内には死刑存置論は今なお根強く残っています。

考えれば考えるほどわからなくなる「死刑」の問題。画面の前のみなさまに問いかけたい。直観的な発想で結構です。

「死刑は存置すべきか、それとも廃止すべきか?」

この文章は同窓会のスタッフコラムとしてはかなり重いものになるので、もしかしたらボツになるかもしれません。もし掲載されたらならば管理人の方に感謝しようとおもいつつ、筆をおきたいと思います。

「東京スカイツリー」追記

支部HP本文の「東京スカイツリー」の関連で、こんな新聞記事を見つけました。新しい観光スポットを軸に、色んな構想が進められているようです。

東京都では2011年から隅田川の防災用船着き場を、民間の遊覧船や屋形船などが利用できるようにします。隅田川の川岸からは建設中のスカイツリーが間近に見れる。こうした眺望を売りに、隅田川の舟運や水辺に親しむ施設で観光客を呼び込もうと、ツリーに連動した観光事業が活発に動き出したようです。はとバスにもツリーを眺めるコースがあります。

■スタッフ注:中島健三氏(高17回・東武鉄道)の記事を本文に掲載後、皆さんから 「同窓生がからんでいるなんて知らなかった。良く教えてくれた」、「同窓生として誇りに思う。嬉しい」 「今 旬な話題、貴重な情報ありがとう」 など多くの喜びの声が寄せられています。今回 神戸新聞社との取材を繋ぐお手伝いが出来てよかったと、胸を撫で下ろしてしています。

関西人という偏見 (1)

かれこれ上京して6年目になります。初対面の人と話をして二言目に言われるのが、「あ、関西の人ですか~?」 という言葉。あれこれ苦戦しながら播州弁を東京でも通じるようになおしてしゃべっているものの、イントネーションその他の関係でやはり関西人だということはすぐにわかるようです(笑)

いや、まあ確かに関西人なんです。関西人でいいんですけれども、そのあとの相手方の「この人は面白いことをいうに違いない」 っていう期待のこもった視線、なかなかのプレッシャーであります。

「関西の男の人は10秒に一回くらい笑わせてくれそう」 とかどうもそのような思い込みが関東女性にはあるようですが、これは極めて難しい注文。関西人全体が芸人でないといいたい。そんなにたくさんしゃべらない関西人もいます。サッカーが出来ないブラジル人もいるし、卓球ができない中国人もいる。陰気なイタリア人もいる。物静かな関西人もいる。ああ、俺に面白トークを(勝手に)期待しないでくれ。期待されると滑る。頑張れば頑張るほど空回りするトーク。

どうしてそうなってしまうのか。一寸考えてみたいと思います。(次回に続く)

加古川線あれこれ(5)

別府鉄道 多木製肥所の製品輸送の為、大正10年(1921年)野口線が、大正12年(1923年)土山線が別府軽便鉄道として開業された。
野口線4.3キロ。野口、藤原製作所前、円長寺、坂井、別府口、別府港、港口。
土山線4.1キロ。土山、川崎車両工場前、中野、別府港。
昭和59年(1984年) 高砂線と共に、多くの思い出を残しつつ廃線となりました。

次回は加古川線をふりかえります。

「若者の消費離れ」について 3/3

<前回から続く> たとえば東京で一人暮らし、会社の給料20万円と仮定すると、そこから税金や共済年金、その他保険料などが天引きされると、手取りは18万円弱。
そのうえ東京で一人暮らしするためには部屋を借りなければならず、賃料に6~7万円。女性なら防犯などの見地から8万円を越すところに住まざるを得ない。すると最終的に可処分所得として手元に残るのは10万円弱。そこから光熱費や会社でのランチや、月に一回服を買ったりすると、翌月の給料日までほとんど手元には残りません。

外出して外食してお金を使うなら、その分家で自炊してお金を貯めておきたい。貯めたお金で年に一回、恋人にプレゼントを贈ったり、おやのたんじょうびにプレゼントをしたりして、結局1年後に残るお金はなくなってしまうのです。その上今春の春闘ではベースアップゼロという会社も多く、給料が上がる見込みはない。
このような状況で、若者が「消費」から離れていくのは当然のことではないでしょうか。

このような社会情勢を無視して、最近の若者は酒も飲めないのか!とか最近の若者は新聞も読んでいないのか!と叩かれることには大きな違和感を覚えます。もちろんもっとお金と時間があれば、いい車にも乗りたいし、おいしいお酒も飲みたい。映画も観たいし、旅行にだって行きたい。新聞だって取りたいし、いい時計もほしい。そう思っているのです。ただ、現状がそれを許さないだけ。

ただ、若者もまったく消費しないのかと言うとそうでもありません。とくに、新しいゲーム機や、高性能のパソコン、新しい化粧品や、新しい携帯電話はほしいのです。特に最近ではiphoneやipod ニンテンドーDSなどは売れています。結局は、使わなくても生きていけるところは極力節約して、自分がほしい物をなんとか買える範囲で購入していく。というのが現代の若者(20代)の懸命な生き方なのかもしれませんね。<この稿完>