真幸 操さん・ソプラノ歌手 ご紹介

真幸 操(まゆき みさお)さんは、東京支部・尼子宗二氏(中18回)のご息女です。

11月25日夜 めぐろパーシモンホール での、アンサンブル「響」のコンサートでお聴きしました。

帰れソレント、リベルタンゴ、ウィーンわが愛の町 など素晴らしいソプラノでした。そして、まことにアットホームな雰囲気のコンサートでした。

次の公演は12月22日(水) 文京シビック小ホール 「ルナクリスタ ウィンターコンサート」です。

神戸女学院音楽学部卒業。ストレッチを取り入れた独自の指導法により、芝居・朗読・歌唱のヴォイストレーニング教室を各地で開催している。東宝芸能ダンサー、劇団四季ダンサーなどのヴォイストレーニングも手掛けている。

「メサイヤ」「第九」のソプラノソロもレパートリーとして全国各地で公演されています。

皆さん 同窓生のご息女を応援してあげてください。

ブログ ”MISAOのひとりごと” もどうぞ。http://ameblo.jp/luna-crista/



高砂の近代建築物(1)

旧高砂銀行本店(昭和7年築)。地方銀行としては豪奢な建物で、如何にも銀行らしい重厚な入り口が特徴的。昭和11年に神戸銀行と合併、その後太陽神戸銀行高砂支店と移り変わった。昭和55年に銀行としての役目を終え、現在は高砂商工会議所として使用されている。

歴史ある街並みの中心街に位置し、工業都市として発展を続けたかっての高砂の隆盛を象徴する建物として市民に馴染み深い。

これらの資料は近代建築Watch(Sawamura hideo氏)の使用了承を頂戴しました。

加古川の近代建築物(5)

村人の自慢 旧印南郡東神吉村役場

昭和3年(1928年)に新築された。農村に突然現れたモダンな建造物は大きな話題となった。当時は加古川町役場を除いて、公共施設は全て木造だったからだ。

近くの鉄筋建築の小学校と並んで、東神吉村は近隣の村から羨望の目で見られた。日本毛織印南工場の存在が大きく寄与したらしい。

惜しくも、2005年 老朽化のため閉鎖された。

「ニュートンの林檎の木」植樹祭に寄せて

     アンネの薔薇

アンネ・フランクの薔薇

11月8日、生徒さんによる「ニュートンの林檎の木」と「メンデルの葡萄の木」の植樹です。ご功績の安積校長の姿もありますね。最初にご披露頂いた東京支部として嬉しい光景です。

何年か先に実りがある風景を見たいものです。この傍らには「アンネ・フランクの薔薇」も。

今回の植樹を記念してPTAの方から散文詩が寄せられました。ニュートンの林檎の木に寄せて (クリックしてください)

関西人という偏見(5 完)

さてさて、前回からはさらに遅れましたが、この稿も早めに締めないといけない気がするのでこのあたりで締めくくりたいと思います。

この稿を通じて何をいいたかったというと、東京と関西における「会話の場」への主体性の違いです。

関西人は、ほぼ概ね、ボケなりツッコミなりでその場に「参加」するのに対し、東京の(特に女性)はその場を「観覧」している。

前々稿に書きました、東京の女性の一言。「関西人なんだからなにか面白いことして!」という一言には「私は今から面白いことをするするあなたを観賞します」というメッセージが多分に感じられるのです。その場の会話に参加しよう、その場の空気を自ら作っていこうと考えていればこのセリフはなかなか出てこない。

筆者が初めて上京して、女性と話しているときに東京の女性に特徴的だと思った点は、みな、「うけるー」「おもしろーい」というだけで、それ以上の発展する要素をのせない。会話に「カブせ」や「次へのネタフリ」が少ないのです。ボケ役はボケっぱなし。欲しいツッコミを得られないまま不完全燃焼状態になることも少なくありません。

この点、関西の女性は、聞かれてもないのにその時の話題について自分の意見を表明する癖がついていると思います。

しかも「相手の話を聞いたうえでの自分の意見」なので、他の地方の方々からすると「関西の女の子はノリがいい」ということになるのかもしれません。

もちろん、ジェンダー論からの批判を恐れずにいうならば、「黙って微笑んでいること・自分の意見を表明しないこと=女らしい」のかもしれない。しかし、関東の女性の方も、せっかく会話をするのであるならば、こちらの話にさらにツッコミなりなんなりを入れながら、一緒に場を作る努力をしてほしいなと思います。

関東女性と関西女性には会話への参加意識について大きな相違が認められる。

そんなことを考えつつ、もっと腕を磨かねばと意気込んで今日も一人ツッコミの練習をする筆者なのでした・・・。

(この稿終わり)

同窓会 あと何回会えるかな

先日 有名な学者さんが書かれている記事を目にした。余りにもおかしくて女房と抱腹絶倒、大爆笑した。皆さんにも、思い当たるところがおありでしょうから、以下 さわりをご紹介します。

『同窓会に出席した。ある年齢に達してからはなるべく出席することにしている。もう何回会えるかな、などと思うようになったからだ。皆もそう考えるらしく、働き盛りの頃は4年に一度だったが、大方が退職した今は隔年だ。2年ぶりに会う級友は2年分だけ確実に老けている。私だけ若々しいのは気が引けるが仕方ない。

中学生の頃、硬派の筆頭だった私は女子と話すことを恥と思い、中2の時に「もう卒業するまで女子とは口をきかない」と公言した。硬派として天下国家を論じ、常に大言壮語していた私が、女子と話しながら真っ赤になるわけにはいかないからだ。特にひそかに憧れている子の前で感動のあまり声を震わせたり目を潤ませたりしたら私の人生はそこまでだ。

同窓会にその意中の人も出席していた。半世紀ぶりに見る彼女は小紋を着こなしすっと伸びた背筋などいまだ往時の魅力を失っていなかった。私は生まれて初めて話しかけた。

「かってあなたに憧れていたんですが、話しかけることすら出来ませんでした」 彼女は艶然と微笑みながら「あーら。うれしいっ。そうだったんですか。あーあ、もっと早く言って下さったらよかったのに。本当に残念」と言った。

久し振りの天にも昇る気持ちで帰宅し古女房に得意満面で言った。「僕と彼女は何と相思相愛、互いに秘めた恋心をもっていたようだ」「あなたほどお目出度い人は珍しいわ。そんなに美しいなら彼女、皆に同じことを言ってる筈よ」「いいや彼女のつぶらな瞳は真実だった」「お目出度い人はいつも幸せでいいわね」

女房の方が正しいような気がするが、何と言われようと幸せでいたい。』

皆さん あと何回会えるかな・・・。お元気で颯爽とお出かけください。因みにこの記事、副題は “同窓会のマナー” となっていました(爆笑)。