江戸しぐさ 其の拾弐 (喫煙しぐさ)

江戸時代に庶民レベルまで行き渡ったのがタバコである。はじめは贅沢品だったが、各地でタバコの栽培が盛んになり、葉を刻んだ刻みタバコが広く流通した。

今のように二十歳にならないと吸ってはいけないという規則はなかったものの、喫煙に対しては常識的な決まりがあった。

まず、歩きながら吸わない。これは火事を予防するためだ。吸う場合は、必ず座って吸うこと。茶店の縁台に腰をかけて吸おうとしても、そこに灰皿の用意がなければ吸わない。つまり、灰皿が置かれていない場所は禁煙だったのだ。往来は城へ続く廊下と考えられたから、ポイ捨てなどとんでもない。

また、料理屋などの店でも、相手がタバコを吸わない人だったら、こちらも吸わなかった。もちろん、相手が「どうぞお吸いください」と言えば吸ってもよかったが、相手が吸わない場合は控えるのが普通だった。このようなしぐさすべてを 「喫煙しぐさ」 と呼んでいた。

余談:以前、乗り物の不正乗車を「キセル」と言っていたのをご存知だったでしょうか。煙管(きせる)はご覧のように入り口、出口の両端だけが金属になっています。お分かりかな?また、無賃乗車を薩摩守(さつまのかみ)とも言いました。

これってご存知の方はちょっとご年配か(爆笑)。

「ふるさと野口探検隊」開講。同窓生・郷土史研究家が協力

(C) 神戸新聞社

加古川市野口町公民館が開いたふるさと講座に同窓生が講師を勤めている。高20回・岩坂純一郎氏。郷土史研究家として著名な方。判りやすく故郷の魅力が掘り返される。

神戸新聞5月22日の記事をご紹介します。

加古川の近代建築物(7)

加古川大橋 大正12年の架橋。国道2号線の大きな橋です。かっては美しい石の高欄や立派な親柱を備えた橋でした。戦後の拡幅工事(2車線→4車線)によって橋上の意匠は変わってしまいましたが、橋桁や橋脚部は当時のままです。上流側に脚柱が追加されています。

戦後長く上流側の上荘橋(上荘村~八幡村)と加古川河口最下流に架かる相生橋(高砂町~尾上村)との間にはこの三か所しか加印地区を結ぶ橋がなく、特に交通の要衝として加古川大橋は昔も今も多くの人に利用されています。

写真はいずれも西岸側から東岸側(加古川中心部)を望んだもの。

東京巨大プロジェクト(4)・東急東横線地下化

地下で地上で、シブヤ、ただ今普請中。

一日当たりの乗降客約三百万人、新宿駅に次ぐ国内第二位のターミナル駅でもある渋谷駅。だが乗り入れている4社9路線の各駅施設が入り組んだ駅構造。そんな渋谷駅の抜本的な改良に向けて現在進められているのが東急東横線地下化事業だ。

まず東急東横線・渋谷駅~代官山駅間、1.4㌔を地下化。東京メトロ副都心線・渋谷駅へと繋ぎ、双方で相互直通運転を行う。

完成すれば東武東上線、西武池袋線、東京メトロ有楽町線・副都心線、東急東横線、みなとみらい線、5社6路線が一本になる。

しかし全長わずか1.4㌔とは言え難工事だ。既存の東横線高架橋は1927年(昭和2年)に築造されたもの。その真下で掘削工事を進めながら、同時に高架橋上の既存線は地下新線が開通するまで使い続けなければならない。

このため今回のシールドトンネル工事で採用されたのが世界初となる「複線断面のアポロカッター工法」。ちょうど数字の8の字を横に倒したような形状により、掘削断面を自由に調整し排残土もすくなくなる優れもの。

地下切り替えは平成24年を予定している。見慣れた地上の東横線渋谷駅が見おさめになる日も近い。明治通りの真向かえ、かっての東急文化会館跡地一帯には「渋谷ヒカリエ」が建設中だ。

国包の榎・椋の樹

国包は全国に知られる建具の町で、今も江戸期の面影を伝える風情が残る。ひときわ目立つのが「国包の築山」だ。そこにあるのが2本のエノキが1本のムクノキを挟みながら一体で成長した樹だ。高さ10㍍ほどで3本合わせた幹周りは7㍍はある。樹齢は約250年とされる。

水害から200年以上にわたり、集落の人々を守り続けてきた。上荘町国包