山陽本線あれこれ(6)

【魚住~土山~東加古川間】
山陽本線の複々線は電車区間終点の西明石までで、そこから先、レールは複線になる。車窓風景は一変し、開けた播州平野を疾走する。魚住、東加古川両駅共昭和36年の開業。それまでは大久保~土山~加古川間は駅間距離が長かった区間として知られていた。

写真下は土山ー東加古川間の九州直通急行「つくし・べっぷ」475系。小倉から博多・大分と行く先が分かれた。(昭和47年)

写真上は気動車特急「おき」。新大阪~出雲市間を結びキハ181系10両編成だったが、なんと食堂車連結特急だった。(魚住~土山間、昭和47年)

山陽本線あれこれ(7)

【加古川~宝殿間】
加古川鉄橋を渡りニッケ印南工場を過ぎると、宝殿駅までは一面の田んぼばかりでした。
写真は荷物専用列車を牽く上り線のEF58。国鉄時代、郵便や小荷物は鉄道輸送の一分野であり、幹線では専用列車が運転されていた。EF58、EF61牽引は車長も客車並みに長く人気があった。後方遥かに播州の山並みが見える。 ”島美人” の野だて看板も懐かしい。清酒島美人は播州では有名な銘酒。加東郡河合村粟生字島(現小野市)で醸造されていたのでこの名が付けられた。