死刑に犯罪の抑止力はあるのか

「死刑」と聞いてみなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
ギロチン・薬殺・電気椅子、様々な事をお見浮かべた結果、「恐い」と感じられる方が多いかもしれません。日本における死刑については、実はきちんと「刑法」という法典の中に記載してあります。刑法第11条1項 「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する」

この文言からわかるように、日本においては、死刑は絞首によって執行されます。詳細な方法は、気分を害される方もおられると思うので、ここでの言及は避けますが、日本においては死刑は法律の中にきちんと位置付けされています。
実際に死刑になる可能性がある犯罪というのはとても数少ない。外患誘致、現住建造物放火、殺人、強盗殺人、強盗強姦殺人など、ごくわずか。しかし、死刑の話になると必ずと言っていいほど国際比較されるのが、死刑廃止論・存続論という議論であります。

死刑になるのが恐いからという理由で犯罪をしないという人がどのくらいいるかは分かりません。ただ、実際の死刑囚に対して身上調査を実施し、「自分が罪を犯す時に死刑になる可能性を考えたか」という問いに対しては、殆どの死刑囚が「犯行時には死刑の存在を意識しなかった」と答えるようです。

死刑廃止論者の有力な論拠として用いられるのが先述のアンケート結果です。つまり、犯行時に犯人が死刑の存在を予期していないのであるから、死刑に犯罪抑止力はない。と。
なるほど確かに、実際に死刑囚がそいうのであるから、死刑はあってもなくても犯罪の抑止力に関係がないとも思えます。しかしながら、この調査の決定的な欠点は、「死刑囚にアンケートをとっている」ことです。

この方法では、実際に死刑を宣告された者のうち、どれだけの割合の人間が死刑を恐れたかということはわかりますが、逆のデータ、つまり「死刑が恐いから犯罪をやめようと思った」人の割合は算出する事ができません。この点において、前述の死刑囚アンケートは統計としての意味をなさないという意見が検察庁を始め警察関係者、死刑存置論者からは主張されています。
そのように考えるならば、死刑の犯罪抑止力はあるのかないのかは不明であるという結論を取らざるをえません。

さて、そのような議論を横目に、近年の凶悪犯の中で「死刑になりたくて人を殺した。誰でもよかったし、早く死刑になりたい」という者が現れます。記憶に新しいところでは、大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件の被告人、秋葉原14人連続殺傷事件の被告人が挙げられます。
ある種の「自殺願望」をもった人間が、自分で死ぬほどの度胸がないという理由で死刑になるような罪を犯している。このような自殺願望者の自殺の補助のために死刑が使われてしまっては元も子もありません。そんな使われ方をするのであればいっそ死刑などなくしてしまった方がいいのかもしれません。

池田小の被告人には判決後異例のスピードで死刑執行がなされました。彼自身は死刑を望んでいましたから、死刑という現行法上の最高刑は、多くの児童の命を奪ったたった一人の身勝手な男の人生の幕を下ろすために、被告人の「最も」望む形で運用されてしまったといえます。しかし、地下鉄でサリンを撒き散らした忌まわしき某教団の教祖と言われた被告人にはまだ死刑は執行されていません。

法律では死刑の執行は判決の確定時から6カ月以内と決められていますが、この規定はまず守られません。死刑の執行には法務大臣のサインが必要なので、その時々の法務大臣の思想により死刑がまったく執行されないこともあるのです。日本の刑事裁判は地裁、高裁、最高裁の三審制であると習った方もおられると思いますが、こと死刑に関しては最後の法務大臣のサインという四審目が事実上存在しています。

さて、脈絡のない文章になってしまいました。刑事政策上の死刑の存廃問題というのは、考えれば考えるほどよくわからないものになっていきます。国際的な流れに沿えば死刑が存置されている国のほうが圧倒的に少ないのですが、日本国内には死刑存置論は今なお根強く残っています。

考えれば考えるほどわからなくなる「死刑」の問題。画面の前のみなさまに問いかけたい。直観的な発想で結構です。

「死刑は存置すべきか、それとも廃止すべきか?」

この文章は同窓会のスタッフコラムとしてはかなり重いものになるので、もしかしたらボツになるかもしれません。もし掲載されたらならば管理人の方に感謝しようとおもいつつ、筆をおきたいと思います。

死刑に犯罪の抑止力はあるのか” への2件のコメント

  1. 難かしい法律論はわかりません。その辺に居る市井の一員として申し上げます。

    唯 この問いかけ(抑止力・・・)には、無辜に倒れた被害者の無念さ、そのご遺族に対する思いへの視点が抜けていませんか。論点が違うといわれるかも知れませんが、素人は素朴にそう反応してしまいます。「自殺願望」に利せられる恐れ、それは否定できない一面でしょうが、それでは贖罪とはいかなるものなのでしょう。

    勿論 冤罪は一番怖ろしい。しかし 自殺願望者を「無期刑」に処する、死刑判決者をそのまま生かしておく、どちらも社会的コスト、素朴な市民感情の面からは馴染みません。ここにグローバルスタンダードなどが入り込む余地があるのでしょうか。

    法律で定められた刑の執行は、法務大臣の厳正なる職務の一つです。現職の千葉法務大臣は廃止論者であるため、着任以来執行は全く行われていません。これは公人として職務怠慢、職務放棄と申せます。個人的信念を曲げられないならば、法務大臣就任を辞退すべきであり、任命権者にも迂闊のそしりは免れません。

    被害者、その残されたご遺族の立場に思いを寄せて頂きたいと考えます。

  2. inoueさんのご意見は仰るとおりだと思います
    批判の余地はありません
    と同時に廃止論者の主張も首肯できるものが多いと感じます
    とはいえ強制装置を伴う「法」がある以上それは行為の「志向」「準拠」となるものですから違反した者は「従う」しかないのかも知れません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>