山陽本線あれこれ(4)

【須磨~垂水間】 は六甲山系が海岸にまで迫り、須磨浦公園を削って無理やりに造った狭い中を海側から「山陽本線・電車線」、「山陽本線・列車線」、「国道2号線」、「山陽電鉄」と階段状に並走し、目の前は瀬戸内海。そして淡路島を望む如何にも神戸らしい景勝の地です。
電車線の快速は113系湘南型が主役で走り、普通は西明石まで103系や旧型の72系も使われていました。一番山側の山陽電鉄には須磨浦公園駅まで阪急、阪神も梅田から乗り入れていました。

写真下は宮崎からの夜行急行「日南」。編成の半数は寝台車でしたが、グリ~ン車や普通車も4両連結されていました。特に普通車はかっての特急用一方向き座席車・スハ44が使用されていたため、絶大な人気がありました。(昭和49年、須磨~塩屋間・上り線)

写真上は須磨浦特有の松林を走る往年の電車特急「富士」。新幹線開通前の山陽本線は広島まで電化され、「つばめ」、「富士」、「うずしお」の3往復が電車特急として広島や宇野まで直通していました。パーラーカー付きの151系12両編成でした。(昭和39年、須磨~塩屋間、国道2号線越し)

■スタッフ注:この区間は白砂青松、山陽本線を代表する見事な眺めでしたが、無残にも海岸線は埋め立てられ、もっともっと豊かだった松林も、国道拡幅や線路増で、須磨浦公園と同様に西方の舞子公園までも削られました。当時は六甲山を削り、海を埋め立てる神戸市・原口市長のスタイルが「株式会社・神戸」と褒めそやされる高度成長期だったため、何の議論も起こりませんでしたが、自然景観保護が叫ばれる現在なら如何でしたでしょうか。今昔の感があります。

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