「旧陸軍・加古川飛行場」の記憶(1)

昔、加古川に飛行場があったのを、皆さん、ごぞんじでしょうか。旧加古郡尾上村池田にあった通称・尾上飛行場です。写真は97式戦闘機(キー27 中島航空機製)。

昭和12年(1937年)に関西の防空の要として建設され、500~1700mの滑走路が5本ありました。この飛行場は戦闘機実戦部隊(飛行第十三戦隊)の航空基地として昭和13年3月に発足しました。今 跡地は工場などになっていて、その面影を偲ぶものはありません。

旧加古郡野口村水足にあった高射砲隊(現在はハリマ化成)や神野弾薬庫(現在は加古川刑務所)と結ぶ道(現在の藤原製作所前の道)が高射砲道と呼ばれていた所以です。太平洋戦争末期には、特攻隊の中継基地としてここから多くの若者が九州方面に向けて、帰らぬ出撃に飛び立ちました。

高砂市曽根町ご在住の「加古川飛行場を記録する会・代表上谷昭夫氏」から、当時の残された写真や記録を提供戴きました。ご了解を得、順次ご紹介して参ります。歴史に刻まれたふるさとの記憶に思いをいたしてください。

■スタッフ注:まだ国民学校生徒だった子供のころ、木村神社などに退避されていた飛行機をよく見に行ったものです。防弾ガラスの匂いがドロップによく似ていたのを思い出します。この移動はなんと人力でやっていたのですね。旧制中学の大先輩達は勤労奉仕で駆り出されていました。上谷氏も子供のころ、加古川の土手道でこの搬送の様子を目撃されたそうです。

神野には旧陸軍第106連隊の兵舎があり(山手中学のあたり)、三木にも飛行場(第六錬成飛行隊)がありました。

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