「旧陸軍・加古川飛行場」の記憶(2)

早速、加古中生徒さんだった先輩から当時(戦争中)の思い出が寄せられました。

● 昭和20年6月、確かに飛行機を押しました。現在の宝殿中学(日の丸牧場)の辺り、通称”がんまく”に隠されていた、絹張り翼、木製プロペラの複葉機を約10人がかりで加古川の堤防まで押し上げ、尾翼を前にして土手道を相生橋まで押して行きましたが、そこで橋の欄干に翼が引っ掛ってしまいました。放課後からかかり、夜中に雨に濡れながら寺家町の自宅に帰りました。

写真は95式戦闘機 キー10(川崎航空機製)。飛行場開隊時に配置されていた。

●昭和19年12月7日、尾上飛行場で偽装網をわらで編み上げました。翌12月8日は開戦日で敵機の来襲があるとの思いこみでした。作業が終わってから駆け足で加古川国民学校に戻ってきました。(今の小学校6年生でした)

尾上・池田の浜一帯には、砂浜に対空機関銃が並んでいました。

●昭和20年7月23日、日本毛織加古川工場へ来襲した艦載機コルセアの機銃掃射がありました。工場正門(今のパークタウン)から国道2号線への道路で、民家がロケット弾による被害を受けお一人が亡くなられました。

■スタッフ注:実際に体験された先輩の生々しいお話です。確かに池田の浜に貝拾いに行った時、赤さびた機関銃が打ち捨てられていたのを覚えています。

明石と姫路はB29の爆撃を受け多くの方が亡くなられましたが、加古川はこの機銃掃射だけでした。コルセア(corsair):ヴォート・チャンス社製F4U。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>