加古川線あれこれ(1)

電化前の加古川線地元の足として馴染み深い加古川線です。その前身は播州鉄道(後に播丹鉄道)が大正12年(1913年)に開業しました。第二次大戦中の昭和18年(1943年)に国鉄に併合され、現JR・加古川線になりました。

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当初 山陽本線は海岸線に近い高砂を計画していましたが、海運の寂びれを怖れた港町高砂の猛反対で、現在の加古川駅になりました。その為 明石から姫路は直線の海岸線を通らず、山側に迂回した形の現路線になっています。山陽新幹線は直線で通っています。
かっては汽動車(キハ37、40、47型)が走り レカー と呼ばれ親しまれていましたが、平成16年(2004年)に電化(125、103系)されました。

支線には高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線がありました。その他 加古川駅からは加古川刑務所(旧陸軍神野弾薬庫跡)や日本毛織加古川工場、農業倉庫への専用引き込み線もありました。
夏には海水浴客でにぎわい、高砂港駅まで直通の臨時列車(はまぐり号)が出たほどです。又 戦時中は旧陸軍の青野ヶ原演習場(加東市・小野市)への重要な路線で、全国から兵隊さんが利用しました。

駅前の写真には当時のクラウンやセドリックの姿が、おや 東高の女生徒さんらしき制服姿も。構内の写真では、山陽本線下りホームに準急「鷲羽」が停車している姿が見られます。

次回は各駅停車で、加古川から厄神までの7.4キロをご紹介します。

加古川市在住・高29回生のHP「加古川探訪」から引用させて頂きました。当コラムへの使用は了解を戴いております。

加古川線あれこれ(1)” への2件のコメント

  1. 元高砂駅前の住人さんへ 駅長さんは男の子の夢でしたね。

    高砂線は 加古川線あれこれ(4)に登場します。今しばらくお待ちください。

    懐かしい写真も掲載致します。

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