「われいまだ 木鶏(もっけい) たりえず」


不世出の名横綱・双葉山が昭和14年1月15日、1月場所4日目 実に3年振りに黒星を喫し、安芸の海に69連勝で阻まれたその日の夜、知人に打った電報です。

木鶏(もっけい)=鍛えられた闘鶏が、木彫りの鶏のように静かで無心の境地にあるさま。

「有名な話で誰でも知っているよ」 これが清流会と何の関係があるんだいと、ご不審に思われるでしょうが、こんなエピソードがあったのをご紹介いたします。

当時 双葉山はよく高砂へ来ていました。横綱が来る日はいつも高砂駅は黒山の人だかりだったそうです。高砂・南本町にあった清流会・中谷大吉氏(中8回)のご実家への訪問です。

前記の電報を打った知人とは、中谷氏の兄上(清一氏)宛だったのです。これを兄上が、米国航路船上にあった陽明学者・安岡正篤氏に打電したのが、世に出るきっかけとなりました。この辺りは、文芸春秋・平成22年1月号の「昭和の肉声」特集にも掲載されていました。

後年 中谷大吉氏は中央官庁に奉職、上京されましたが戦後の事(昭和23年)でもあり東京での住まいが無く相撲部屋から出勤されていて、お風呂では横綱・鏡里に「坊ちゃん 流しましょう」 と背中を流してもらったこともあるそうです。いかにも人情味豊かな、のんびりした時代が偲ばれますね。これは中谷氏にお聞きした余談ですが、横綱などは生卵で肌を磨くそうです。これは役者さんのお化粧と同じですね。(閑話休題)

謡曲”高砂や~この浦舟に帆をあげて~”や”相生の松”で有名な高砂神社の近くに「横綱稲荷」があります。兄・中谷清一氏が奉納された双葉山の綱、触れ太鼓が納められています。高砂ウォーキングラリー・ポイントの一つになっていると、近くの十輪寺・沢田住職のお話でした。

※注 宝瓶山十輪寺=高砂・横町 弘仁6年(815年)創建の、浄土宗の名刹です。境内には旧高砂城主の墓碑などがあります。

あの有名な話の裏に、郷里・高砂、清流会会員とこんなご縁があったのですね。驚きました。尚 この挿話のご紹介は、中谷さまご一族の了解を頂戴いたしております。