昭和3年(1928年)に新築された。農村に突然現れたモダンな建造物は大きな話題となった。当時は加古川町役場を除いて、公共施設は全て木造だったからだ。
近くの鉄筋建築の小学校と並んで、東神吉村は近隣の村から羨望の目で見られた。日本毛織印南工場の存在が大きく寄与したらしい。
惜しくも、2005年 老朽化のため閉鎖された。
アンネ・フランクの薔薇
11月8日、生徒さんによる「ニュートンの林檎の木」と「メンデルの葡萄の木」の植樹です。ご功績の安積校長の姿もありますね。最初にご披露頂いた東京支部として嬉しい光景です。
何年か先に実りがある風景を見たいものです。この傍らには「アンネ・フランクの薔薇」も。
今回の植樹を記念してPTAの方から散文詩が寄せられました。ニュートンの林檎の木に寄せて (クリックしてください)
さてさて、前回からはさらに遅れましたが、この稿も早めに締めないといけない気がするのでこのあたりで締めくくりたいと思います。
この稿を通じて何をいいたかったというと、東京と関西における「会話の場」への主体性の違いです。
関西人は、ほぼ概ね、ボケなりツッコミなりでその場に「参加」するのに対し、東京の(特に女性)はその場を「観覧」している。
前々稿に書きました、東京の女性の一言。「関西人なんだからなにか面白いことして!」という一言には「私は今から面白いことをするするあなたを観賞します」というメッセージが多分に感じられるのです。その場の会話に参加しよう、その場の空気を自ら作っていこうと考えていればこのセリフはなかなか出てこない。
筆者が初めて上京して、女性と話しているときに東京の女性に特徴的だと思った点は、みな、「うけるー」「おもしろーい」というだけで、それ以上の発展する要素をのせない。会話に「カブせ」や「次へのネタフリ」が少ないのです。ボケ役はボケっぱなし。欲しいツッコミを得られないまま不完全燃焼状態になることも少なくありません。
この点、関西の女性は、聞かれてもないのにその時の話題について自分の意見を表明する癖がついていると思います。
しかも「相手の話を聞いたうえでの自分の意見」なので、他の地方の方々からすると「関西の女の子はノリがいい」ということになるのかもしれません。
もちろん、ジェンダー論からの批判を恐れずにいうならば、「黙って微笑んでいること・自分の意見を表明しないこと=女らしい」のかもしれない。しかし、関東の女性の方も、せっかく会話をするのであるならば、こちらの話にさらにツッコミなりなんなりを入れながら、一緒に場を作る努力をしてほしいなと思います。
関東女性と関西女性には会話への参加意識について大きな相違が認められる。
そんなことを考えつつ、もっと腕を磨かねばと意気込んで今日も一人ツッコミの練習をする筆者なのでした・・・。
(この稿終わり)
先日 有名な学者さんが書かれている記事を目にした。余りにもおかしくて女房と抱腹絶倒、大爆笑した。皆さんにも、思い当たるところがおありでしょうから、以下 さわりをご紹介します。
『同窓会に出席した。ある年齢に達してからはなるべく出席することにしている。もう何回会えるかな、などと思うようになったからだ。皆もそう考えるらしく、働き盛りの頃は4年に一度だったが、大方が退職した今は隔年だ。2年ぶりに会う級友は2年分だけ確実に老けている。私だけ若々しいのは気が引けるが仕方ない。
中学生の頃、硬派の筆頭だった私は女子と話すことを恥と思い、中2の時に「もう卒業するまで女子とは口をきかない」と公言した。硬派として天下国家を論じ、常に大言壮語していた私が、女子と話しながら真っ赤になるわけにはいかないからだ。特にひそかに憧れている子の前で感動のあまり声を震わせたり目を潤ませたりしたら私の人生はそこまでだ。
同窓会にその意中の人も出席していた。半世紀ぶりに見る彼女は小紋を着こなしすっと伸びた背筋などいまだ往時の魅力を失っていなかった。私は生まれて初めて話しかけた。
「かってあなたに憧れていたんですが、話しかけることすら出来ませんでした」 彼女は艶然と微笑みながら「あーら。うれしいっ。そうだったんですか。あーあ、もっと早く言って下さったらよかったのに。本当に残念」と言った。
久し振りの天にも昇る気持ちで帰宅し古女房に得意満面で言った。「僕と彼女は何と相思相愛、互いに秘めた恋心をもっていたようだ」「あなたほどお目出度い人は珍しいわ。そんなに美しいなら彼女、皆に同じことを言ってる筈よ」「いいや彼女のつぶらな瞳は真実だった」「お目出度い人はいつも幸せでいいわね」
女房の方が正しいような気がするが、何と言われようと幸せでいたい。』
皆さん あと何回会えるかな・・・。お元気で颯爽とお出かけください。因みにこの記事、副題は “同窓会のマナー” となっていました(爆笑)。
「銭湯つきあい」 で、しぐさの稽古をし始めた子供たち。銭湯は身分差別のない生まれたままの裸の付き合い、人間対人間という付き合いである。つまり共生の社会を見習う近道は銭湯だというのです。
銭湯経験のない子供は、いきなりドボンと飛び込んだり。濡れた手拭いを振り回したり、遊び場だと思っていますし、修学旅行では水着を着て入るというのですから、日本の庶民文化もすたれたものだと残念でなりません。
行儀よく、人さまに掛からないように体にお湯をかけ、足と下半身をざっと洗い、静かに入り、手ぬぐいはお湯に漬けないのが規則、「お先へ」 「お静かに」 「おゆるりと」 などと挨拶して出ます。
筆者(越川禮子さん)のお知り合いの方は、銭湯を一日お借りして、地域の親子で学ぶ「銭湯教育」をしています。履き物の脱ぎ方から衣服のまとめ方、浴場での細かいマナーまで教えると、皆が仲良しになって、子供の教育だけでなく地域活動に効果覿面だそうです。
加古川市の東に広がる台地は高台であったため、古くから農業用水の確保に苦労してきました。そのため 多くのため池が造られ、疏水が引かれるなど独自の灌漑が発達しました。
「平木橋」は旧野口村(現加古川市野口町)の新田に水を引くために、遠く淡河川、山田川からの疏水事業の最下流に位置する、大正4年(1915年)に完成した水路橋です。
レンガと御影石を組み合わせたモダンなデザインは、歴史の重みを感じさせてくれます。かっては神野町石守の、行くには衣服が破れるのを覚悟して近づかなければならない程の雑木林に忘れられたようにありました。
道路が付近を通過することになり、その工事で壊される運命にありましたが、保存運動が高まり無事に移築復元されました。神戸大・神吉和夫教授(高18回)が専門的な助言をされました。
現在は、野口町水足公会堂近くの「前ノ池」の中にめがね橋のように復元されています。
福間洸太朗さんは、東京支部・福間(楠本)裕子さん(高23回)のご子息です。
若手ピアニストとして将来を嘱望され、世界的に演奏活動を繰り広げています。現在ベルリン在住。
「ショパン生誕200年」の今年、私もショパンの音楽を一つの大きな課題として、じっくり取り組んでまいりました。今年の締めくくりとして、1年間の集大成を日本の皆さまにご披露できることを心から嬉しく思います。
今回の演奏会では、バラード全4曲を続けて弾くのではなく、時期を同じくして書かれたショパンの他のジャンルの作品と絡めることで、バラード特有の自由な形式と波乱万丈で深遠な世界を際立たせ、壮大なドラマとその「音・魂」をお届けしたいと思います。 と、ご挨拶にありました。
皆さん 同窓生のご子息を応援してあげてください。
12月14日(火) 19:00開演 津田ホール(千駄ヶ谷駅前)
お問い合わせ
ジョイフル・ミュージック 042-359-8061
joyfulmusic@lake.ocn.ne.jp