2008年北京オリンピックで、陸上女子3000m障害に出場する早狩選手は、 東高卒業生ではありませんが、現在、加古川在住で、東高でよく練習しています。
陸上部OBの一人から、どういう経緯でそんな人が東高で練習することになったの か知りたい(実際には「なんでそんな人が東高なんかで練習しとんねん..」だった でしょうか?)という話が出たことがきっかけで、陸上部顧問の河岡先生(高32回) に話をうかがうことができました。その話を先生がまとめて下さいましたので、以下、 ご紹介いたします。
加古川東陸上競技部
顧問 32回生 河岡 稔和
京都出身(槙島中学・京都府立南八幡高校・同志社大学 現在、京都光華女子職員)の 早狩選手と、加古川東高校とのつながりを誰もが不思議に思っています。32回生の中西 君にもほとんどを話していませんので、詳しいことを書いておきます。
まず、早狩の競技暦について紹介しておきます。中学2年生の時は800mで全国2位、 中学3年生では800mで全国1位になりました。高校に進学しても順調に競技成績を伸 ばし、高校3年生では3000mで全国インターハイ1位。国体では3000mを全国高 校新記録で優勝しました。大学1回生の時、高校の記録が標準記録を突破していたので、 東京で行われた世界陸上に3000mの日本代表として出場しました。
そのころ私は、新採用で赴任した県立宝塚東高校で陸上部の顧問をしており、県大会で 活躍できる選手も何人か出ていました。その中に、早狩の1学年下の女子で、全国ランキ ングで10位に入る有望な選手がいました。しかし、彼女は2年生で半月板を損傷し手術 することになり、全国インターハイは出場することができませんでした。故障が長引き、 結局高校時代には満足に練習ができませんでしたが、大学進学後は復活して活躍できるよ うに、在学中に練習計画の知識と心構えを徹底的に指導しました。
彼女は同志社大学に進学し、陸上部では早狩の1年後輩になりました。残念ながら1年 もたたないうちに退部してしまいましたが、早狩とは気が合ったようで、退部後も良い関 係が続いていたようです。私も転勤で実家のある高砂に戻り、松陽高校で勤めるようにな っていました。
順調に競技成績を残してきた早狩も、大学2回・3回生の頃には自分が思っているよう な結果を残せず、いわゆるスランプになっていたようです。早狩がどう練習すればいいの か迷っていた時、途中退部した私の教え子から、いろいろとアドバイスをもらっていたそ うです。彼女になぜそれほどの知識が有るのか、早狩には不思議だったようです。
早狩が4回生になる春、その教え子から私に「早狩さんが先生(私)と話をしたいと言 っています。いいですか?」と連絡がありました。私は「高校新記録を出したり、日本代 表になるような有名な選手にアドバイスができるはずがない」と断りました。しかし、「ど んな話でもいいから聞かせて欲しい」ということで、逆に私が有名な選手の話を聞くのも いいかと思い、会うことにしました。(何の実績もあげていない指導者に、わざわざ京都か ら兵庫まで会いに来る早狩の行動力に驚きました)
明石であった試合の審判の合間に話すことになり、少ない時間で何から話をすればいい のか分からないまま、「こんな時はどうしている?」「こんなことは知っているか?」と質 問すると、驚いたことにほとんどが「知りません」「考えていません」の答えでした。私に してみれば、何も知らない、考えていないでよくあれだけの競技成績を残せたなと、早狩 の潜在能力のすごさをあらためて知ることになりました。また、早狩の体のケアをしてい る治療院も高砂にあったので、お互い親近感を感じ、話しも弾みました。20分ほど話を していると、早狩が「今度の日本選手権までの2か月間の練習計画を立てて下さい。」と言 い出し、私は「日本一位を決める大切な試合の責任はもてない。」と断りましたが、「どう なってもいいのでお願いします。」(本当にどうなるのか分からない状況でも、すぐに決 断できる思い切りの良さを感じました)と頼まれ、それ以上の断る理由がないので引き受 けることにしました。それから2か月間、毎日電話で練習のやりとりを続けました。私は 土曜日、日曜日でも高校の試合があり、早狩の練習を見ることは少なく、タイムの設定の ほか「こんな感じで」とか「こんなイメージでとか」の抽象的な表現で指示を出していま した。そして迎えた日本選手権では、8位入賞を果たし、高校の時の記録に迫るセカンド ベストで走ることができました。本人も結果に満足し手ごたえも感じただろうと、私も安 堵し、ほっとしたのを憶えています。レース後、すぐにお礼の電話がかかってきました。 驚いたことに、さらに大学の最後まで練習計画をたてて欲しいと頼まれました。まさか大 学の最後までとはまったく考えていなかったので、迷いましたが自分の考えている練習が 力のある選手にも通用するのかどうか、やってみたい気持ちも湧き上がり、引き受けるこ とにしました。
4回生の夏休みは、高砂陸上競技場と高校のグラウンドで松陽高校の陸上部員と練習をし ました。秋の試合でも順調に結果を残し、早狩にたくさんの実業団から勧誘があり、どこ の実業団を選ぶのか興味がありました。ところがある日、京都から「先生の所で練習でき る条件の実業団と話をまとめることができそうです。大学卒業後も練習を見てもらえませ んか」という信じられない電話がありました。当然今回は「私は高校の教諭なので、それ は不可能だ」と断りました。すると、「高校生の生徒と同じ練習でいいから練習させて欲し い」と返事がきました。「迷惑はかけない」「責任は自分で取る」等々の話があり、だんだ んと私も「やってみるか」という気持ちになってきて、引き受けることにしました。今か ら14年前の出来事です。
早狩は大学を卒業してから高砂に住み、松陽高校のグラウンドで6年間、早朝練習・放 課後の練習に参加しました。8年前、私が加古川東高校に転勤してからは、住所も加古川に 移し、加古川東高校のグラウンドや日岡・鶴林寺で陸上部の選手とともに練習しています。 ここ数年は高地トレーニングのために海外遠征することが多くなっています。
早狩は中学2年生から現在まで20年間日本のトップクラスで活躍し、35歳で初めてオ リンピックの切符を手にしました。テレビや新聞の報道でもよく言われていますが、今ま でに、これほど長い間活躍をした選手はいません(ワールドカップ・アジア代表、世界陸 上日本代表3回、世界クロカン日本代表数回等)。選手生命の長さ、故障の少なさは彼女が 決して型にはまらず、自立した競技者として日々練習に取り組んできた証しだと思います。
8年間、加古川東高校のグラウンドで硬球やサッカーボールを避けながら陸上部員と一緒 に走ってきました。日本のトップアスリートと共に汗を流し練習する部員たちは、彼女に あこがれ、多くのことを学んでいます。
早狩は高砂や加古川でたくさんの人に出会いました。加古川の河川敷で走っていても、 知らない人が声をかけてくれるそうです。気さくで飾らない人柄から、多くの人たちにか わいがられ、応援してもらっています。世間の常識では考えることができない事を早狩は たくさん実現してきました。
早狩は卒業生ではありませんが、応援よろしくお願いします。
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