過去のニュース

田中孝治さん(40回生)の公演、行ってきました

劇団ひまわり・44期生卒業公演に出演の、田中孝治さんの舞台を拝見しました。彼は存在感もあり、コミカルな演技は中々のものです。素人目にも相当なものだと思います。同期の40回生友人も多数応援に来てくれたと、ご本人は喜んでました。先に観劇されたその筋のプロ13回生の先輩からは、事務局へ次のような言葉が寄せられました。「田中孝治君の公演をシアター代官山で観てきました。期待した以上におもしろく、また彼は中心的な役をコミカルに演じていました。私の感想では将来性のある役者(二枚目ではありません)だと思いました。あとはいかにチャンスをつかむかにかかっていると思います。菅原洋一さんも苦労の末チャンスをものにし、一躍加古川の名を高めてくれました。清流会東京支部としても応援のし甲斐があると思います」とありました。

次のお知らせ。千代田区観光協会のHP・PRのWEBドラマで初主演です。

http://chiyodastory.com/chnnel/dra/index.html

みてやってください。

同窓生・出版

高7回生・神榮赳郷(しんえい たけさと)氏が、播磨の豪族、赤松一族の通史「赤松一族盛衰記」を発刊されました。神榮氏は的形町の湊神社宮司で郷土史家としても著名です。A5判600頁、上製本ハードカバー、定価5千円。神榮氏は学習院大卒。ラジオ関西、サンTV勤務後現職。

赤松一族盛衰記:同窓生・出版

高7回生・神榮赳郷(しんえい たけさと)氏が、播磨の豪族、赤松一族の通史「赤松一族盛衰記」を発刊されました。神榮氏は的形町の湊神社宮司で郷土史家としても著名です。A5判600頁、上製本ハードカバー、定価5千円。神榮氏は学習院大卒。ラジオ関西、サンTV勤務後現職。

居酒屋・同窓会ノート

2/21のNHKTV放映を見て、新橋の居酒屋「有薫酒蔵」へ、支部有志5名で出かけました。

全国830校の高校同窓会ノートがあり、我が母校ノートを拝見してきました。7名の諸氏が書き込みをされており、当日 5名が新たに追加をしました。転勤で東京へ来られた方、海外から帰国された方、清流会東京支部の存在をご存じないようで、事務局として申し訳ない思いでございます。年次幹事諸氏との一層の連携を痛感しました。

北京オリンピック代表の早狩実紀(はやかりみのり)選手が、なぜ 加古川東高校で練習をしているのか?

2008年北京オリンピックで、陸上女子3000m障害に出場する早狩選手は、 東高卒業生ではありませんが、現在、加古川在住で、東高でよく練習しています。

陸上部OBの一人から、どういう経緯でそんな人が東高で練習することになったの か知りたい(実際には「なんでそんな人が東高なんかで練習しとんねん..」だった でしょうか?)という話が出たことがきっかけで、陸上部顧問の河岡先生(高32回) に話をうかがうことができました。その話を先生がまとめて下さいましたので、以下、 ご紹介いたします。

加古川東陸上競技部
顧問 32回生 河岡 稔和

京都出身(槙島中学・京都府立南八幡高校・同志社大学 現在、京都光華女子職員)の 早狩選手と、加古川東高校とのつながりを誰もが不思議に思っています。32回生の中西 君にもほとんどを話していませんので、詳しいことを書いておきます。

まず、早狩の競技暦について紹介しておきます。中学2年生の時は800mで全国2位、 中学3年生では800mで全国1位になりました。高校に進学しても順調に競技成績を伸 ばし、高校3年生では3000mで全国インターハイ1位。国体では3000mを全国高 校新記録で優勝しました。大学1回生の時、高校の記録が標準記録を突破していたので、 東京で行われた世界陸上に3000mの日本代表として出場しました。

そのころ私は、新採用で赴任した県立宝塚東高校で陸上部の顧問をしており、県大会で 活躍できる選手も何人か出ていました。その中に、早狩の1学年下の女子で、全国ランキ ングで10位に入る有望な選手がいました。しかし、彼女は2年生で半月板を損傷し手術 することになり、全国インターハイは出場することができませんでした。故障が長引き、 結局高校時代には満足に練習ができませんでしたが、大学進学後は復活して活躍できるよ うに、在学中に練習計画の知識と心構えを徹底的に指導しました。

彼女は同志社大学に進学し、陸上部では早狩の1年後輩になりました。残念ながら1年 もたたないうちに退部してしまいましたが、早狩とは気が合ったようで、退部後も良い関 係が続いていたようです。私も転勤で実家のある高砂に戻り、松陽高校で勤めるようにな っていました。

順調に競技成績を残してきた早狩も、大学2回・3回生の頃には自分が思っているよう な結果を残せず、いわゆるスランプになっていたようです。早狩がどう練習すればいいの か迷っていた時、途中退部した私の教え子から、いろいろとアドバイスをもらっていたそ うです。彼女になぜそれほどの知識が有るのか、早狩には不思議だったようです。

早狩が4回生になる春、その教え子から私に「早狩さんが先生(私)と話をしたいと言 っています。いいですか?」と連絡がありました。私は「高校新記録を出したり、日本代 表になるような有名な選手にアドバイスができるはずがない」と断りました。しかし、「ど んな話でもいいから聞かせて欲しい」ということで、逆に私が有名な選手の話を聞くのも いいかと思い、会うことにしました。(何の実績もあげていない指導者に、わざわざ京都か ら兵庫まで会いに来る早狩の行動力に驚きました)

明石であった試合の審判の合間に話すことになり、少ない時間で何から話をすればいい のか分からないまま、「こんな時はどうしている?」「こんなことは知っているか?」と質 問すると、驚いたことにほとんどが「知りません」「考えていません」の答えでした。私に してみれば、何も知らない、考えていないでよくあれだけの競技成績を残せたなと、早狩 の潜在能力のすごさをあらためて知ることになりました。また、早狩の体のケアをしてい る治療院も高砂にあったので、お互い親近感を感じ、話しも弾みました。20分ほど話を していると、早狩が「今度の日本選手権までの2か月間の練習計画を立てて下さい。」と言 い出し、私は「日本一位を決める大切な試合の責任はもてない。」と断りましたが、「どう なってもいいのでお願いします。」(本当にどうなるのか分からない状況でも、すぐに決 断できる思い切りの良さを感じました)と頼まれ、それ以上の断る理由がないので引き受 けることにしました。それから2か月間、毎日電話で練習のやりとりを続けました。私は 土曜日、日曜日でも高校の試合があり、早狩の練習を見ることは少なく、タイムの設定の ほか「こんな感じで」とか「こんなイメージでとか」の抽象的な表現で指示を出していま した。そして迎えた日本選手権では、8位入賞を果たし、高校の時の記録に迫るセカンド ベストで走ることができました。本人も結果に満足し手ごたえも感じただろうと、私も安 堵し、ほっとしたのを憶えています。レース後、すぐにお礼の電話がかかってきました。 驚いたことに、さらに大学の最後まで練習計画をたてて欲しいと頼まれました。まさか大 学の最後までとはまったく考えていなかったので、迷いましたが自分の考えている練習が 力のある選手にも通用するのかどうか、やってみたい気持ちも湧き上がり、引き受けるこ とにしました。

4回生の夏休みは、高砂陸上競技場と高校のグラウンドで松陽高校の陸上部員と練習をし ました。秋の試合でも順調に結果を残し、早狩にたくさんの実業団から勧誘があり、どこ の実業団を選ぶのか興味がありました。ところがある日、京都から「先生の所で練習でき る条件の実業団と話をまとめることができそうです。大学卒業後も練習を見てもらえませ んか」という信じられない電話がありました。当然今回は「私は高校の教諭なので、それ は不可能だ」と断りました。すると、「高校生の生徒と同じ練習でいいから練習させて欲し い」と返事がきました。「迷惑はかけない」「責任は自分で取る」等々の話があり、だんだ んと私も「やってみるか」という気持ちになってきて、引き受けることにしました。今か ら14年前の出来事です。

早狩は大学を卒業してから高砂に住み、松陽高校のグラウンドで6年間、早朝練習・放 課後の練習に参加しました。8年前、私が加古川東高校に転勤してからは、住所も加古川に 移し、加古川東高校のグラウンドや日岡・鶴林寺で陸上部の選手とともに練習しています。 ここ数年は高地トレーニングのために海外遠征することが多くなっています。

早狩は中学2年生から現在まで20年間日本のトップクラスで活躍し、35歳で初めてオ リンピックの切符を手にしました。テレビや新聞の報道でもよく言われていますが、今ま でに、これほど長い間活躍をした選手はいません(ワールドカップ・アジア代表、世界陸 上日本代表3回、世界クロカン日本代表数回等)。選手生命の長さ、故障の少なさは彼女が 決して型にはまらず、自立した競技者として日々練習に取り組んできた証しだと思います。

8年間、加古川東高校のグラウンドで硬球やサッカーボールを避けながら陸上部員と一緒 に走ってきました。日本のトップアスリートと共に汗を流し練習する部員たちは、彼女に あこがれ、多くのことを学んでいます。

早狩は高砂や加古川でたくさんの人に出会いました。加古川の河川敷で走っていても、 知らない人が声をかけてくれるそうです。気さくで飾らない人柄から、多くの人たちにか わいがられ、応援してもらっています。世間の常識では考えることができない事を早狩は たくさん実現してきました。

早狩は卒業生ではありませんが、応援よろしくお願いします。

「福田泰弘氏個展のお知らせ」

福田泰弘氏(高6回) 「旅の絵画展」

会期:5月7日(水)?13日(火) 10:00?20:00(最終日16:00)

会場:銀座松屋7階画廊 中央区銀座3-6-1 03-3567-1211

「福田泰弘氏個展のお知らせ」

福田泰弘氏(高6回) 「旅の絵画展」

会期:5月7日(水)?13日(火) 10:00?20:00(最終日16:00)

会場:銀座松屋7階画廊 中央区銀座3-6-1 03-3567-1211

「日本丸「展帆ボランティア」訓練に2名参加」

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2008年4月に行われた日本丸の「展帆ボランティア」訓練に36回の穴田 さんと馬道さんが参加され、無事日本丸乗組員証を受け取られました。

日本丸での展帆(てんぱん?帆を広げること)作業には50メートル近い高さ に登ることもあり危険なため、5回の訓練を受けることでボランティアに参加で きるようになります。お二人の日本丸デビューは6月の予定だそうです。

「強風が吹き荒れ、雨が降った日もあり、最も困難な環境下でしたが、とても 楽しかったです。これは全員が言っていました。昨日は自然に、全員で打ち上げ に行きました。」とのことです。

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「日本丸展帆ボランティア」訓練に2名参加」

2008年4月に行われた日本丸の「展帆ボランティア」訓練に36回の穴田 さんと馬道さんが参加され、無事日本丸乗組員証を受け取られました。

日本丸での展帆(てんぱん?帆を広げること)作業には50メートル近い高さ に登ることもあり危険なため、5回の訓練を受けることでボランティアに参加で きるようになります。お二人の日本丸デビューは6月の予定だそうです。

「強風が吹き荒れ、雨が降った日もあり、最も困難な環境下でしたが、とても 楽しかったです。これは全員が言っていました。昨日は自然に、全員で打ち上げ に行きました。」とのことです。

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帆船日本丸(SAIL TRAINING SHIP NIPPON-MARU)

ハワイ・オアフ島沖を帆走中の日本丸

ハワイ・オアフ島沖を帆走中の日本丸

「太平洋の白鳥」「海の貴婦人」と呼ばれ、国民の間で慕われてきた練習帆船初代日本丸は現在 横浜(JR桜木町駅前・みなとみらい地区の港に繋留)で保存活用されています。帆船は、世界的に見ても数少ないものであり、その中でも特に同船は、昭和5年に故郷・兵庫県の川崎造船所で建造された後、半世紀の長きにわたり大海原で海の男を育て今日の海国日本の礎を築いてきました。また、海の文化財としても貴重なものであり、その栄誉と功績にふさわしい形で大切に保存されていくことでしょう。

この栄光ある初代日本丸とその後継として、昭和59年に建造された新日本丸両船の船長を歴任されたのが、我等が同窓生の大西典一氏(高15回生)です。 Continue reading 帆船日本丸(SAIL TRAINING SHIP NIPPON-MARU)