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故・井上晴視さん(高7回)への松井・前支部長の追悼文

清流会東京支部前支部長の井上晴視さんが8月10日に亡くなられました。

ここに、井上晴視氏のご冥福を祈ると共に、清流会東京支部への多大なる功績を讃えるべく追悼文を寄稿させて頂きます。

清流会東京支部前支部長 松井昭憲

 

 

井上さん、

 

奥様からのお電話には驚きました。

「主人が今朝早くに病院で亡くなりました。」

 

身体中の力が抜け呆然自失となりながらも、居ても立ってもおられず、翌日に中塚伸幸東京支部長(高33回)と、ご両親が井上さんと同級生で縁の深い穴田卓司さん(高36回)とでご自宅に弔問させて頂きました。

 

闘病で少し痩せられてはいるものの、安らかに眠る井上さんのお顔はとても綺麗で、今にも何か話しかけられそうでした。

奥様は「1週間の入院でしたが、体調も戻り退院に向けての相談などを前日にケアマネジャーさんとしていた矢先でした。」と仰っておられました。

享年87歳、米寿を目前にしての旅立ちとなってしまいました。

 

井上さん、物事を運ぶのに常にスピーディーでしたが、今回はあまりに早すぎたのではないですか?

 

井上さんとの出会いは2001年11月22日。私が長く勤務した会社を辞め、他社に転職を決めた日でした。

最終出社日の夜に「ヤング清流会」という関東地区の清流会の若手だけの懇親会に初めて呼ばれ、そこで井上さんにお声を掛けて頂きました。

「あんた、元気がええなあ。清流会の東京支部長やってくれへんか?」

当時、私は清流会活動を全く知らず、固辞したのですが、その後も2回りも年配の井上さんの粘りに押し切られ、2004年から支部長職を拝命することになりました。

井上さんからは「あんたは何にもせんで良い。実務は全部ワシがやる。」と仰って頂きました。

 

2020年に支部長を中塚さんに引継ぐまでの17年間、本当に多くのことが出来ましたが、井上さんのアイデア、リーダーシップや実行力のお陰だと思います。

支部のHPの「東京支部のあゆみ」の中に「東京支部・松井支部長 在任17年間の事績」というコラムがありますが、このほとんどが井上さんの実績です。

 

「東京支部は母校より一番遠く離れた地にあり、首都圏同窓生が一堂に会する「同窓生の集い」の活性化と、母校と卒業生の接点としての役割を自覚しながら活動を続けて参りました。又上京される生徒さんに見聞を広げる機会を提供するアレンジも継続して心がけたい。そして清流会最大の地方支部としての活動に矜持を持って、その責務に取り組んでまいります。」

副支部長を退任された令和2年9月の井上さんのコメントがコラムの冒頭に記されています。

 

井上さんの訃報をご連絡した際、清流会本部の大庫隆夫会長からは、「井上さんは東京支部の中興の祖でした。」とお言葉を頂きました。

 

この他、同窓生からも本当に多くのメッセージが寄せられました。

「毎週のようにメールを頂いていたのに本当にショックです。」

「悲しくてしばらく落ち込みました。」

「またあの大きな声で電話がかかってきそうです。」

「誰よりも母校愛が強かったですね。反骨精神も旺盛で、熱い思いをよくぶつけられていました。」

「井上さんにはいろいろ気を遣っていただきました。」

「東京支部は井上さんなしには語れません。」

 

井上さん、貴方は本当に多くの人から愛されています。

真っすぐに純粋でチャーミング、聡明な頭脳と熱い心を持ち、恰好良くてダンディーで、豪快に見えて実は繊細、誰とでも分け隔てなく気配りも行き届き、会う人は皆、井上さんのファンになりました。

「元気にやってる?」人懐っこい井上さんの声が今でも聞こえてきそうです。

 

私は井上さんと17年間、清流会東京支部の活動が出来たことを本当に誇りに思っています。

貴方は私の金メダルです。

 

どうぞ安らかにお眠りください。

松井昭憲

 

(2015年の支部総会で挨拶をされる井上さん)

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東京支部・松井支部長 在任17年間の事績

 

東京支部同窓生の集い中止と支部長交代について

清流会東京支部の皆様、

お疲れ様です。
8月1日に、1)本年11月開催予定の東京支部の同窓生の集いの中止と2)東京支部の支部長と副支部長の交代についてご連絡させて頂きました。

1)についてはご連絡だけでしたが、2)については、皆様からのご意見を頂くことを以って総会決議にしておりましたところ、特段の反対意見はなかった為、これを東京支部としての正式な機関決定とさせて頂きます。

本来であれば、11月の同窓生の集いにて皆様に直接お会いし新旧支部長よりご挨拶をさせて頂くべきところですが、本年は残念ながら新型コロナの影響で叶いません。
ついては、私から退任挨拶を、中塚新支部長より就任挨拶を以下に掲示させて頂きます。

これからも清流会東京支部をどうぞ宜しくお願い致します。
時節柄、是非ご自愛下さい。

清流会東京支部支部長
松井昭憲

支部長退任挨拶

支部長就任挨拶

東京巨大プロジェクト(10) 都心を貫く直通運転

神田駅付近、拡幅できないため新幹線の上を通す。

今 上野~東京間(3・8キロ)で東北・高崎・常磐線と東海道線を直通で結ぶ大工事が進んでいる。営業運転中の新幹線軌道を使用する稀な工事だ。深夜のみだから我々の目には触れない。

神田駅付近では新幹線の上を高架で通す難工事だ。秋葉原では総武線の下を、東京駅では首都高の下を通すので35‰(パーミル)の急勾配となる。

1973年の東北新幹線建設時に、この高架工事に備えた設計をしていたとはさすがだ。日本の英知を感じる。

上野~東京間には駅を作らず、しかも上野駅、東京駅での乗り換えもなくなり直通運転による混雑緩和と時間短縮効果は計り知れない。

2001年の「湘南新宿ライン」や2002年の「りんかい線・埼京線」など山手線西側ルートに加えて、新橋、品川を加えた東側ルートの誕生は、東京の南北鉄道ネットワークが一層強化される。上野駅では5~9番線、東京駅では東海道線ホームに入る。2013年の開通が待ち遠しい。

尚、秋葉原で止まっている「TX」は、地下大深度で丸の内側の丸ビル直下に入る計画だ。

「憧れのクルーズ展」 横浜みなと博物館で

10月8日(土)~11月23日(水)の期間、横浜・桜木町駅前です。

目の前に係留されている「帆船日本丸」の船内には、”清流会東京支部”の銘板も掲示されています。お立ち寄りください。

9・11 あれから10年経ちました

かっての威容

9.11直前の2001年8月撮影。 フェリー船上から、遠く在りし日のWTCビルを望む

2001年9月11日から10年になります。当時 N.Yに居た友人から書状が寄せられました。あの9・11には皆さまもそれぞれに思いをお持ちでしょう。

彼の手記からです。

1998年、彼は赴任先のN.Yで初フルマラソンに参加しました。沿道観衆250万人、あの世界最大の市民マラソン。ニューヨ-ク・シティー・マラソンです。スタート地点はスタテンアイランドのベラザノブリッジ橋上にある。この橋は3万人以上の重量を支えられない為に、これが理由で出場者は3万人に制限されている。

ブルックリン、クィーンズ(ウィリアムズバーグ街・ユダヤ人地区、全く声援なし)を抜けブロンクスへ。再びマンハッタン、セントラルパークから5番街、花道を走る。ハーレム、こんな時でないと来れない場所。NYは人種のサラダボウルだ。

59丁目セントラルパーク・サウス、プラザホテルのまん前。フィニッシュも近い、「がんばって」と日本語も混じる。恥ずかしいほどの晴れ舞台だった。

完走5時間21分。秋の夕暮れの肌寒い中、初マラソンとしてはちょうどよいタイムだったそうだ。

この大会出場での収穫は、自分の足でニューヨークの街並みを走り、そして切れ目のないニューヨーカーの大声援が自分の背中を後押しし支えてくれた事だ。と彼は語る。

このわずか数年後にあの悲劇がNYを襲った。直前の2001年8月にフエリー船上からWTC・ツインビルを撮った時、誰がこれを予想できたでしょうか。10年の歳月を想い、あらためて犠牲者に哀悼の意をささげる。

東京巨大プロジェクト(8)・環状2号線(マッカーサー道路)、新橋ー虎ノ門間、地下トンネル工事中

汐留から虎ノ門方面を望む

環状2号線は終戦直後の1946年、新橋から神田佐久間町間を幅100㍍で計画された。これはGHQの要求であると言われたところから「マッカーサー道路」と呼ばれるようになった。新橋~虎ノ門部分のみが着工されていなかった。

半世紀以上を経て再始動した計画は、自動車専用の本線は地下トンネルとなり、地上は広々とした空間となる。有明までの全通時には勝どきを経て隅田川を渡る。晴海通りの渋滞緩和に効果が大きい。

完成予定は2014年度。将来的に勝どき・有明方面へ路面電車を走らせる案もある。

都内の環状線と通称名

環状1号線=内堀通りなど

環状2号線=外堀通り、新大橋通りなど

環状3号線=外苑東通り、言問通りなど

環状4号線=外苑西通り、不忍通りなど

環状5号線=明治通りなど

環状6号線=山手通り

環状7号線、環状8号線

東京巨大プロジェクト(7)・小田急、下北沢駅地下化

昭和61年(1986年)より順次進められていた連続立体交差・複々線化事業も、ここ下北沢駅を含む代々木上原駅~梅ヶ丘駅間を残すのみ。完成すれば、シモキタ名物の”開かずの踏切”も解消する。

代々木上原駅方面から見た断面図

地下化で急行線、緩行線、上下合わせて4線の複々線となり地下3階建てとなる。

完成予定は2013年度。

東京巨大プロジェクト(6)・金町浄水場、高度浄水施設

映画「男はつらいよ」の寅さんの故郷、柴又帝釈天から500㍍の近くでも、今、大土木工事が行われている。

寅さんや、妹のさくらが江戸川堤を散歩する時、よく映っているのが、川の中にある二つの取水塔。昭和16年建造のとんがり屋根、今も現役のこの取水塔から取り入れられた水は、目の前の東京都水道局金町浄水場へと流れ込む。

建設されているのは、おいしい水にするための高度浄水施設。沈殿、急速濾過処理の間にオゾン処理と生物活性炭吸着処理を組み込んだもので、平成24年度末にこの工事が完成すると、一日当たり現在の高度浄水52万㎥が150万㎥と飛躍的に増える。

東京ドームがすっぽり入る一辺が150㍍、地上2階、地下3階の建造物がつくられている。使用するコンクリートは16万㎥、単純計算でコンクリートミキサー車38,000台分になる。多い日では500台ものミキサー車がやってくるという。東京都水道局、鹿島建設。

世界に誇る「東京水」としてペットボトルでも販売されている水が、23区の東部約250万人へと給水され、自宅の蛇口から飲めるようになる。

高7回生有志・東西合流で伊勢旅行

ハリマ産業新聞6月25日号からの、転載ご紹介です。

東京巨大プロジェクト(5)・Shibuya Hikarie

渋谷駅の新たなランドマーク「渋谷ヒカリエ」。

東急文化会館跡地一帯に建設中の地上34階、地下4階の高層タワー。かっての東急文化会館は、四つの映画館にプラネタリウムを備えた文化発信地として長く親しまれていた。

渋“谷”の字の通り、渋谷は渋谷駅辺りの谷底を中心に、東西双方の台地の上へと向かって街が発展したすり鉢状の地形。

宮益坂に隣接する「渋谷ヒカリエ」は谷の底を走る明治通りに面する正面は1階だが、北側の宮益坂の途中面へは2階、東側の青山方面には3階が面する。

谷の奥底にあたる地下駅から坂の上の青山エリアまでを幾層ものレベルで結び付ける、立体的歩行者空間「アーバンコア」が周辺一帯のアクセス向上に格段に役立つのは間違いない。完成予定 2012年春。

建築と土木の融合の”これから”を見せてくれる、さすが流行の発信地渋谷ならではだ。