●生徒心得 昭和25年 男女共学後の「東高生徒心得」はこのようになりました。シニアの諸氏、思い出されましたか。
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●生徒心得 昭和25年 男女共学後の「東高生徒心得」はこのようになりました。シニアの諸氏、思い出されましたか。 「うまれる」 感動的なこの映画、自主上映会を稲美支部ホームページで紹介しています。稲美支部の役員さんが医療機関にお勤めのご関係でこの映画を知られ、自主上映を進められたそうです。 稲美支部から東京支部の皆さんにも、是非 この映画のことを知ってください。と、ご紹介を依頼されました。 当ページ左側の清流会稲美支部をクリックしてください。 若手の登竜門として、今年度創設された将棋の公式戦「加古川清流戦」の決勝三番勝負・第三局が10月29日加古川市であり、地元出身の船江恒平四段(24歳)が初代優勝者となった。 「地元で優勝できてうれしい。作戦通りの展開となった」と喜びを語った。新聞記事より紹介 スタッフ注:大阪・将棋会館での決勝戦前、「船江君は見ていて痛々しいほどだった。よくこのプレッシャーを跳ね除けた頑張りは見事でした」と。応援で観戦された地元バンバンテレビ・長尾氏(高18回)に伺いしました。 加古川橋西詰交差点すぐの「船頭」バス停から、堤防の細い道を降りたところに、この七騎塚の碑が建っています。1331年(元弘の変)で流された後醍醐天皇に従った塩治髙貞(えんや たかさだ)が、後に室町幕府に追われた時(暦応4年、1342年)加古川で戦闘となりました。主君を助けるため奮闘した家臣七人は討ち死にしました。この七人は主君を死守した忠臣と称えられ、この地に墓が造られ七騎塚と呼ばれるようになりました。又 対岸にある称名寺(加古川町本町)には頼山陽の書になる七騎供養塔があります。 余談となりますが、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」では、塩治判官、高師直と置き換え加古川本蔵なる配役も登場しております。 ■スタッフ注:加古川市広報11月号から、岩坂純一郎氏(高20回)が担当されている欄から抜粋紹介しました。詳細は本文公式ホームページをご覧ください。 この七騎塚に因んだ郷土銘菓「七騎もなか」が加古川橋東詰の福中菓子舗で販売されています。このお店の大福は有名です。皆さまもご記憶ではないでしょうか。 10月8日の加古川に続いて、10月23日に赤坂・草月ホールで開かれました。530名のホールは満員。加古川からの同期生も多数、熱気むんむんの大盛況でした。ステージからは広瀬氏歌手生活40年のいろんな思い出、故郷加古川の紹介など軽妙な話術で聴衆を沸かせ、弾き語りの”サンタ・ルチア”では全員合唱、楽しいひと時でした。同窓生の更なる飛躍を期待して、皆さん応援してあげてください。 山口国体で松本君が見事優勝。母校の名を全国に轟かせてくれました。世界ユース選手権3位(7月フランス・リール)に続く快挙です。後輩の活躍にエールを送ります。神戸新聞記事(10月9日)をご紹介します。(記事はクリックしてください) |
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