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東京巨大プロジェクト(5)・Shibuya Hikarie

渋谷駅の新たなランドマーク「渋谷ヒカリエ」。

東急文化会館跡地一帯に建設中の地上34階、地下4階の高層タワー。かっての東急文化会館は、四つの映画館にプラネタリウムを備えた文化発信地として長く親しまれていた。

渋“谷”の字の通り、渋谷は渋谷駅辺りの谷底を中心に、東西双方の台地の上へと向かって街が発展したすり鉢状の地形。

宮益坂に隣接する「渋谷ヒカリエ」は谷の底を走る明治通りに面する正面は1階だが、北側の宮益坂の途中面へは2階、東側の青山方面には3階が面する。

谷の奥底にあたる地下駅から坂の上の青山エリアまでを幾層ものレベルで結び付ける、立体的歩行者空間「アーバンコア」が周辺一帯のアクセス向上に格段に役立つのは間違いない。完成予定 2012年春。

建築と土木の融合の”これから”を見せてくれる、さすが流行の発信地渋谷ならではだ。

母校体育祭・6月18日

梅雨空の中、母校体育祭が行われました。後輩諸君の元気な姿をお楽しみください。背景の校舎は現在、耐震化工事中です。

■スタッフ注:この写真はPTAからご提供頂きました。その昔、運動会と云えば、菊香る抜けるような秋空の下が決まりだったのですが、これは老人の寝言か(笑)

「北条の羅漢さん展」に高7回生集結

梅雨空の6月19日、銀座ニコンで開かれている松重輝夫氏(高7回)の「カメラで描く北条の羅漢さん展」に、高7回の面々が集まりました。関西からも2名参加です。

展示作品を前に、ご本人からの解説を受けると云う豪華版で、一同満悦。今回が第10回とあって女性陣から10本の薔薇を贈られ、ご本人も感激されていました。

その後、銀座ライオンで賑やかに放談。

皆さん お元気な爺さん、婆さん連です。

広瀬敏郎氏(高18回)・7月パリ祭の予定

●第49回パリ祭 NHKホール 7月2日(土)、7月3日(日)

大トリを唄います。

●神戸パリ祭 神戸文化ホール 7月16日(土)

●岡山パリ祭 岡山シンフォニーホール 7月17日(日)

関西の同窓生諸氏も、ご声援を。

被災地・同窓生から、お便り(16)

仙台市若林区位置図

●6月15日 仙台市若林区 高22回 拝復 加古川東同窓会東京支部の皆さま、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。震災に際し心こもった激励のお便り・懐かしい最中ありがとうございました。お礼・ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。お陰さまで家族とも皆、元気です。

震災からはや三ヶ月経過しましたが、震災の後遺症は深く宮城の被災地はまだまだ・・・心が何となく晴なくて、弾けるように笑えない・喜べない自分が今も・・・。

女房の生まれた仙台に居を構え二十三年、今は定年退職後、仙台市内で勤務いたしております。地震発生時は被災地の街中で信号機が止まり渋滞、もう少しで津波に飲み込まれる所でした。家は津波が1㌔㍍手前まで迫っていましたが、家近くの俗称「波よけ神社」のお陰で、津波に襲われなくて・・・・。

大学卒業以来慣れ親しんだ宮城の港町の惨い光景に胸が痛くなります。生かされているいることに感謝し東北を今まで以上に愛し続けます。有難うございました。敬白

被災地・同窓生から、お便り(15)

●6月12日 茨城県神栖市 高35回 お礼が遅れまして申し訳ありません。

改めて、加古川を思い出させる心遣いに深く感謝致します。神栖市は、インフラ、工場も震災前に戻り、ほぼ落ち着きました。当時の状況は、震災翌日に電気が復旧しましたが、上水道は、復旧に約一カ月半かかり、その間は給水所通いでした。。しかしながら、この地震で得た事が3点あります。

1.廻りの灯りが無いと、街中でも星がよく見える事。震災直後の夜、10キロの通勤路を初めて歩いて判りました。

2.初めて家内が、私の酒飲みについてついて感謝してくれた事。愛飲する4㍑焼酎の空瓶が、給水容器に一番適していました。

3.『絆』 の重要性を再認識した事。会話をした事のない隣人や、地域のコミニュティー、この清流会のように、普段見えない絆が沢山ある事に気付きその事を糧として自分自身を奮い立たせる事が出来ました。

まだ日本全体は、復興の途中ですが、皆さまもご健康に注意くださいますようご自愛ください。敬具

被災地・同窓生から、お便り(14)

岩手県大槌町役場 町長は津波で遭難された。

~(13)からつづく

本来なら復興に向けて着実に進み始める時期になっていますが、被災地も二分化しており、復興に向けて前向きに考えてられる所と、まだその段階に至らない所です。特に、役場自身が津波の被害をまともに受けたのかどうかが大きな分かれ目で、役場の機能が一時的にでも停止してしまった所は、同じ被害でも混乱が続く状況です。ただ、遺体も見つかっていないのにとの住民感情もありますが、それでも復興に向けて歩んでいかないといけないということは、訪問先のどの自治体でも感じられるようになっています。

私の所掌である通信・放送の分野では、震災・津波で物理的に破壊されたところもありますが、全域停電となったことから、しばらくはバッテリー駆動で何とかやりくりしていたものが止まっていったのも多かった状況です。4月末には概ね復旧状態となっています。

今後は応急対策を恒久化していただくと共に国の支援を含めて、津浪等で失われた施設の再建を急ぐところです。また、防災無線も概ね機能したのですが、最初の津波で壊されてしまうと後は使えない状況となっています。こういう状況でもあり、様々な無線機を大量に持ち込み、國、自治体に貸与すると共に、災害用FMを認めて情報伝達手段として活用されています。終

www.soumu.go.jp/soutsu/touhoku/

被災地同窓生から、お便り(13)

仙台空港 3月11日16:01

~(12)よりつづく

仙台市の中心部でも、通信、電気、水道、ガスが全て止まり、頼りになるのはラジオだけで最初の3日間の食料は非常食と職員が持ち込んでくれる差し入れのみ。

幸い私のオフィスは非常用電源で業務に必要な電気はついていたこと、通信の拠点なので固定回線は生きていましたが、電気、水道が戻るのに数日かかり、最後にガスが出るようになったのはほぼ1ヶ月後でした。その間、風呂には入れず、お店もほとんど開いていませんでした。

尚、誤解のないように申し上げると、中心部では物理的に通信が途絶したというよりは、輻輳による通話制御のためであり、その後、停電が長時間になったのでバッテリー切れを起こした中継局も出てきた事情によります。

仙台市の海岸線側も含めて被災地では、それぞれ大変な被害を被っておりおり、震災後2ケ月を経た現在でも、未だに行方不明者が多数おられ、がれきも多く残っている状況です。壊滅的被害を受けた地はもちろんのこと、その周辺でも未だに電気、通信が十分に届かないところもあります。

つづく~

後輩から被災地の先輩に届け。ハリマ産業新聞記事

(C)ハリマ産業新聞社

同紙の5月25日号記事を、ご紹介します。(記事をクリックしてください) 併せてHPの「被災地・同窓生の方からのお便り、 1~16」もご覧ください。

将棋:船江恒平四段(高58回) 「加古川青流戦」緒戦快勝

(C)ハリマ産業新聞社

今年から加古川市などの主催で始まった「加古川青流戦」、船江四段(高58回)が順調なスタートを切った。ハリマ産業新聞・5月25日号記事からご紹介。(記事をクリックしてください)