過去のニュース

旧制加古川中学(中16回生)のアルバムから 4.

原田先生

美術の原田峻一先生。”たこ”のあだ名で有名です。ご年配の方々にはなつかしいお顔でしょう。

旧制加古川中学(中16回生)のアルバムから 1.

大先輩の坂田栄一氏(中16回)から、昭和19年3月卒業のアルバムを拝借しました。

太平洋戦争まっ最中の中学生、その頃の母校と先輩たちの姿をご覧ください。

これから数回に分けてご紹介していきます。表紙には「回想」と「2604」の文字だけで学校名もありません。

これは当時、奢侈品として禁止されていた事情があったそうです。

2604は西暦ではなく年号は皇紀(紀元)です。時代の風潮が偲ばれます。

■坂田先輩は加古中から陸士へ進まれ、終戦により帰郷。その後、旧制姫高を経て京大に入られたそうです。

中16回生・卒業アルバム

 

旧制加古川中学(中16回生)のアルバムから 2.

加古川中学・正門

校舎風景

正門右は講堂です。現在は運動場の場所です。

現・東高の正門は体育館の後ろにあった通用門が、そのままの姿で使われています。

各校舎は二階建木造で渡り廊下で繋がっていました。サイレンと共に教室に入る先生もいらして、ついたニックネームは「消防車」。

校舎内は土足のまま、ガタガタと高下駄で走り回っている猛者もいました。

戦後、学制改革で男女共学となりましたが、女学校から来た女生徒たちはその汚さに呆れかえったそうです。

楠田修司氏(高13回生)・秋の叙勲で「瑞宝重光章」を受章されました。

同窓生の慶事です。楠田修司氏・元郵政省。J-WAVE社長、会長を歴任されました。永年 公共に貢献されたこの度の受章、おめでとうございます。

J-WAVE時代の楠田氏

瑞宝重光章

「日本人の惜しい!英語」・尾代裕子さん(高46回生)

「うちにブタがいます」でデビューした、イラストレーター・尾代裕子さんの2冊目です。

11月21日発売

元国際線CAの経験からの著書。主婦の友社から11月21日発売です。

著者の談

「英語から離れて、もう10年以上・・・。すっかり、頭から英語が消えうせている私が、英語を学習する日本人のための本を書きました」

尾代裕子さん(高46回生)・「2人と1匹の妄想旅行展」ご案内

「うちにブタがいます」で、衝撃的デビューした尾代裕子さん。

メキシコを旅行します。11月28日(水)~12月2日(日)まで。清流会の皆さ~ん 小田急・祖師ヶ谷大蔵駅へお越しください。

「2人と1匹妄想旅行」展

小田急・祖師ヶ谷大蔵駅です。

神戸新聞記事・「11月9日 清流会東京支部総会」

11月11日の東播磨版に東京支部総会の記事が掲載されました。写真の3名は高50回生。左から清水悠平氏、鈴木(犬石)祐子さん、折戸(野口)誠子さんです。加古川のご実家の皆さんも新聞で元気な姿を見られて、お喜びでしょう。

11月11日・神戸新聞東播磨版

保護中: 2012 東京支部総会写真

この投稿はパスワードで保護されています。表示するにはパスワードを入力してください:

東京支部総会へ、「樽本庄一加古川市長(高11回)のメッセージ」が寄せられました。

画面をクリックしてください。

ぶらり加古川・・・史跡放浪記・「別府鉄道野口線廃線跡」

昭和59年1月31日。ついに廃線となった。大正11年{1921年)9月に、別府港駅から播州鉄道(後の国鉄高砂線)野口駅までの3.7㌔が開通した。

藤原製作所前駅、坂井駅、円長寺駅、別府口駅があった。

野口線が最もにぎわったのは昭和40年前後で、夏は別府海水浴客で超満員。年間25万人以上の乗客を運んだ。

現在 野口線の廃線跡は「松風こみち」として整備されている。故郷での散策を楽しみながら、在りし日の別府鉄道に思いをはせてください。

加古川市広報11月号から抜粋紹介しました。当欄は岩阪純一郎氏(高20回)が執筆されています。