加古川線あれこれ(5)

別府鉄道 多木製肥所の製品輸送の為、大正10年(1921年)野口線が、大正12年(1923年)土山線が別府軽便鉄道として開業された。
野口線4.3キロ。野口、藤原製作所前、円長寺、坂井、別府口、別府港、港口。
土山線4.1キロ。土山、川崎車両工場前、中野、別府港。
昭和59年(1984年) 高砂線と共に、多くの思い出を残しつつ廃線となりました。

次回は加古川線をふりかえります。

加古川線あれこれ(4)

高砂線 大正2年(1913年)播州鉄道が開業。昭和59年(1984年)廃線。加古川~高砂港間8キロ。廃線時の駅名 加古川、野口、鶴林寺、尾上、高砂北口、高砂、高砂港。

かっては播磨工業地帯の中核をなす工場群と、専用引き込み線で結ばれ産業の動脈として一翼を担っていました。国鉄高砂工場、三菱製紙、三菱重工、神戸製鋼、鐘ヶ淵化学、鐘ヶ淵紡績、田熊汽缶、播磨耐火煉瓦、野田醤油等々。モーダルシフトを予測し得なかったその判断が、今惜しまれています。

次回は別府鉄道です。

[nggallery id=11]

加古川線あれこれ(3)

三木線。平成18年(2006年)3月でその幕を閉じました。三木線は大正5年(1916年)に当時の播州鉄道が開業し、加古川まで直通で結ばれていました。
路線は厄神~三木間6.6キロです。廃線時の駅名。厄神、国包、宗佐、下石野、石野、下這田、別所、高木、三木。

平成18年3月29日の神戸新聞「正平調」の記事から抜粋しました。

ゴトゴト、ゴトゴト。一両だけの列車が春の田園を行く。今月いっぱいで廃線となるため、たくさんの人が詰めかけていた。三木駅前の駐車場はいっぱいだった。鉄道フアンに交じり、熟年夫婦や友達同士の姿が目立つ。旧国鉄の面影を残す車両に、地元関係者だけでなく、いろんな人がいろんな思いを胸に集まる。長年、金物のまち三木の動脈として鋼材や製品を運び、住民の足となって来たが、年を追って人も物も輸送実績が減り、経営が成り立たず廃線となった。「市の西端にあり、市全体のシンボルでない」「運行の本数が少なく、不便だ」三木市の鉄道対策協議会では、廃線やむなしの声が多数を占めた。鉄道はまちとまちをつなぎ、人と人、過去と未来をつなぐ。廃線になっても、そんな「つなぐもの」が地域に残ってほしい。ゴトゴト、ゴトゴト。一両だけの列車が行く。

次回は高砂線です。

加古川線あれこれ(2)

加古川駅から厄神駅までの7.4キロ。各駅のご紹介です。

「加古川駅」 加古川線の玄関口である加古川駅舎は大変歴史ある建物です。高架化される前の旧駅舎は、名駅100選にも入っていました。昭和18年封切の往年の名画 「無法松の一生」・板東妻三郎主演の映画ロケ(昭和17年夏)がこのホームで行われたのは有名な話です。ここであの名ぜりふ「夏には坊んが・・」。九州・小倉駅の設定で、当時のロケ写真には駅柱に こくら とあるのが見られます。

写真は高架前の加古川線ホームで、右側が加古川線、三木線。左側が高砂線でした。ホームには売店「弥生軒」もありましたね。

「日岡駅」 約4分。駅を北へ行けば加古川の堤防に出ます。徒歩約5分で桜で有名な日岡山公園と日岡神社があります。古来より安産の神様として、多くの参拝客があります。

「神野駅」 今やベッドタウンとして住宅街の中にあり、橋上駅になりました。かっては陸軍病院への最寄り駅でした。少し歩いて加古川の堤防に出ますと、加古川大堰が目の前です。左岸上荘町薬栗と右岸八幡町中西条間に、昭和63年完成しました。全長422m,水面を利用してレガッタ大会が開かれています。

「厄神駅」 三木線との分岐点でした。加古川市の北の玄関口として開発が進められ、いち早く橋上化されました。宗佐厄神さんと国包の榎(樹齢250年)は有名です。

次回は三木線です。

加古川線あれこれ(1)

電化前の加古川線地元の足として馴染み深い加古川線です。その前身は播州鉄道(後に播丹鉄道)が大正12年(1913年)に開業しました。第二次大戦中の昭和18年(1943年)に国鉄に併合され、現JR・加古川線になりました。

[nggallery id=2]

当初 山陽本線は海岸線に近い高砂を計画していましたが、海運の寂びれを怖れた港町高砂の猛反対で、現在の加古川駅になりました。その為 明石から姫路は直線の海岸線を通らず、山側に迂回した形の現路線になっています。山陽新幹線は直線で通っています。
かっては汽動車(キハ37、40、47型)が走り レカー と呼ばれ親しまれていましたが、平成16年(2004年)に電化(125、103系)されました。

支線には高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線がありました。その他 加古川駅からは加古川刑務所(旧陸軍神野弾薬庫跡)や日本毛織加古川工場、農業倉庫への専用引き込み線もありました。
夏には海水浴客でにぎわい、高砂港駅まで直通の臨時列車(はまぐり号)が出たほどです。又 戦時中は旧陸軍の青野ヶ原演習場(加東市・小野市)への重要な路線で、全国から兵隊さんが利用しました。

駅前の写真には当時のクラウンやセドリックの姿が、おや 東高の女生徒さんらしき制服姿も。構内の写真では、山陽本線下りホームに準急「鷲羽」が停車している姿が見られます。

次回は各駅停車で、加古川から厄神までの7.4キロをご紹介します。

加古川市在住・高29回生のHP「加古川探訪」から引用させて頂きました。当コラムへの使用は了解を戴いております。