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「昭和の戦争とおじいちゃん」(6)竹内 隆氏(中21回)

終戦ー終戦ー 昭和20年8月15日

「堪エ難キヲ堪エ、忍ビ難キヲ忍ビ」天皇の玉音放送です。これで戦争が終わりました。学校からは、終戦に関する連絡は何もありませんでした。学校工場だった体育館は、旋盤などの工作機械が持ち去られガランとしていました。

終戦翌年、昭和21年4月、中学4年生になりました。軍国主義で固められていた学校がデモクラシーの旗印を掲げてスタートすることになりました。教師の中では配属将校がまず首になり、教練や武道も禁止されました。敗戦国の哀しき姿です。

戦艦ミズーリ上での降伏文書調印。勝者はポケットに手を入れたまま。

戦艦ミズーリ上での降伏文書調印。勝者はポケットに手を入れたままの傲慢な態度。敗戦国の屈辱的な一葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー戦後の高砂線ー

高砂北口駅でレカーに乗ると、始発の高砂駅ですでに定員オーバーになっています。山陽電車からの乗り換え組が乗り込むので、ぎゅうぎゅう詰め。積み残しも常時でした。戦時中には、女学生が座席を取るということはほとんどありませんでした。戦後もしばらくすると女学生が自由に座席を取るようになり、向かい合わせの4人席で加古川高女の女生徒たちと一緒に座ることもありました。

レカーは尾上駅で明石方面から来た山陽電車の客を乗せて北へ曲がります。北在家駅ではほとんど乗降客はありません。別府軽便鉄道と接続する野口駅を出て、山陽本線を越える跨線橋にさしかかるとエンジンがうめき声をあげ今にも停車しそうになります。頂上を過ぎるとエンジンを停めたまま惰力で加古川駅の構内へ向かって下っていきました。

ぎゅうぎゅう詰めの通学でしたが、戦時中と違って車内は明るく華やいでいました。

旧高砂北口駅

旧高砂北口駅

 

 

 

 

 

 

 

旧尾上駅

旧尾上駅。上は山陽電車・尾上の松駅。

 

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