昭和49年(1974年)6月7日、創立50周年を記念する行事が行われました。このたび、当時清流会役員をされていた大先輩から、資料のご提供をいただきました。
清流10号 「創立50周年特別号」 が発行されました。その中からご紹介いたします。
●記念講演 「世界の中の日本の青年」 田中国夫・関学大教授(中15回)。心理学者として著名な方で、当日はユーモアに富んだ実証的な講話をお聞かせ頂きました。
●物故会員追悼会 学校近くの龍泉寺で営み、有為の春秋を残して他界された数々の会員の霊が慰められた。酒見真暁師(中1回)が導師となられた18名の僧侶全員が清流会という心づくしでした。
●岩崎宗次郎学校長 「完成した新館は清流館と命名し永く記念といたします」
●校旗紹介 昭和23年4月、学制改革で東西両校の交流があって、男女共学の新制高校がス
タートし新しく校旗が制定されました。この時、加古川の清流に「高」の字を配した現在の校章が決定しました。堀田昌男氏(高2回)の作です。
●創立50周年頌歌
♪ 緑の木 乏(とも)し校庭に ~ 一万人の証しを五十周年加古川東高校 ♬
作詞・玉岡松一郎氏(中3回)。新旧のボキャブラリーをたたみこむことによって、50年の歴史の重みに耐えるように努力した。
作曲・山本禛一氏(中3回)。「質実剛健、自治創造」は加古中の頃をふりかえって男声のみで、高校になった時の「乙女子も加わりて・・・」は女声のみで、「知性なす・・・」は男女斉唱、「一万人」より後は混声合唱にしました。頌歌を歌うものと聞くもの。高らかな歌声にひたって、老若を越え、同窓生の心が交流し、結集するよすがになればと。
●当時、在校生だった方は、高26回~28回生。6月9日の文化祭プログラムの中で、放送劇『深海魚』に杉尾秀哉氏の名前を見つけました。
●母校の長い歴史の中でも最大のものは、昭和23年4月の中学校・女学校の先生・生徒の折半交流でありました。昭和56年に退職された村上喜四男先生(中15回)の手記にも、「涙をこらえて校門を出て行った男生徒、泣きながら先生に引率されてやって来た女生徒、今でもその光景を思い浮かべますと、感無量の思いがあります」とございました。
往時を偲ばれる方、へぇ~そうだったのと言われる方。いろんな思いを込めてご覧いただければと存じます。
■スタッフ注:因みに東京支部は昭和39年、参加者44名でスタートしています。初代支部長・稲井好広氏(中1回・三菱マテリアル)の頃でした。
校歌、応援歌、頌歌など、HPご紹介するよう企画中です。
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