泊(とまり)神社は加古川で歴史の古いお社です。泊の名前から、かっては海辺だったのがわかります。
江戸時代の初期、荒廃していた神社を再建したのが、高砂市米田町に生まれたと言われる宮本伊織です。
伊織は明石藩十万石小笠原家の家臣・田原貞次です。当時、明石に滞在していた宮本武蔵に認められて彼の養子となり、名を宮本伊織貞次と改めました。吉川英治の小説でもご記憶がお有りだと思います。寛永九年(1632年)に小倉に移封された、小笠原家の筆頭家老にまでなっています。
伊織はもともと泊神社の氏子であり、小倉にあっても故郷の氏神の荒廃に心を痛め、資金を提供して一族でこれを再建したのでした。
再建から約三百六十年の風雪に耐えてきた本殿や神楽殿、江戸時代末期に建築された能舞台などの建物は、平成二十年に国の登録有形文化財に選定され、同年九月に加古川能が開催されました。宮本武蔵、伊織父子と加古川のご縁に思いをはせてください。
■スタッフ注:「広報かこがわ・六月号」から抜粋紹介しました。岩坂純一郎氏(高20回)が担当執筆されています。詳細本文は、公式HPでごらんください。
筆者などは、通称の木村神社で親しんでいました。秋の祭礼には”赤”(天狗)が大暴れして逃げまわったものです。加古川中学への通学路にもなっていて、前の宮川(泊川)でよく”じゃこ釣り”や”菱採り”などしていました。戦時中には境内に尾上飛行場の戦闘機が退避されていて、兵隊さんが番をしていたのも思い出されます。
最新コメント