<上> 昭和3年(1928年)6月7日(木) この年に全学年(5学年)が揃いました。1学年は150人で、学校の創設は大正13年(1924年)です。旧制中学は5年制で4学年修了後の進学も可能でした。
終戦後の昭和23年(1948年)、GHQ主導の学制改革で現加古川東高校となり、加古川中学、加古川高女(現加古川西高校)が折半交流し、同年7月から男女共学となりました。その後も 学区制の改廃などがあり学校、生徒を取り巻く教育環境が激変した時代でした。
そんなわけで高1回生~高4回生の皆さんは、それぞれ中学校、女学校で入学し、高校で卒業されました。旧制加古川中学卒業生は22回生の方々が最後となります。因みに旧制加古川高女(4年制)は30回生が最後となります。同窓会名簿の年次表示が複雑になっているのは、そう言う事情からです。
この写真の校舎は、現在の運動場の場所にありました。今も一部に礎石が残っています。手前の田んぼの位置に現在の校舎が建っています。
※注 小学校は高等科(2年制)を廃止、新制中学(3年制)を創設しました。学区は加古川の流れを境に、東西に分割(加古郡、印南郡)。後にこれを緩和と揺れ動きました。
<下> 昭和17年(1942年) 加古川駅でロケ撮影した映画「無法松の一生」の場面です。阪東妻三郎主演で映画フアンでは知らない人がいない有名な映画です。撮影に使用した高架になる前の加古川線,高砂線のホームは、当時 播丹鉄道(昭和19年に国鉄と合併)の構内でした。
この写真・記事は、中18回生・尼子宗二さんからご提供頂きました。
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