空襲警報が発令され、校舎を出て待避するよう指示がありました。いつも空振りに終わっていますから、この日も、なんの緊張感もなく校舎から外に出て、運動場のポプラの蔭に立っていました。
その時突然加古川駅の方角から家の屋根をかすめるように艦載機が姿を現しました。
運動場にいた生徒が蜘蛛の子を散らすように校舎や塀の蔭へ逃げ込んで身を隠しました。
艦載機はW型の主翼とずんぐりした太い胴体からグラマンF4Uコルセアだとすぐわかりました。そのグラマンが、運動場に突っ込むような姿勢で迫ってきてババババン、ババババンと機銃掃射をしました。低空飛行だから、操縦席の飛行士のヘルメット、飛行メガネ、メガネの奥の青い目までが見えました。グラマンは高度を下げたまま飛び去って見えなくなりました。
・・・尾上飛行場の松林の向うからグラマンがフイッと姿を現したのです。あっという間もなく、グラマンは、鶴林寺の塔をかすめて舞い戻ってきました。今度は機銃掃射をすることもなく体育館の屋根をかすめて飛び去りさっていきました。このとき、学校がこうむった被害は、体育館の屋根の明り取り窓に薬莢が当たってできたわずかな破損だけでした。しばらくして、駅前の日毛のグラウンドで女工がやられたらしいということが伝わってきました。
昭和20年の7月になると加古川へも艦載機が繰り返し飛来してきました。
スタッフ注:加古川市などの古い記録には、艦載機(グラマン)による銃撃は次の3件が記されています。
7月23日、加古川駅を機銃掃射。7月24日、3機が加古川駅の急行列車を銃撃し死者1名その他負傷者数名。7月30日、日毛加古川工場と寺家町3丁目に爆弾投下。死者2名その他負傷者数名。
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