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被災地・同窓生から、お便り(12)

仙台市青葉区本町

●6月2日 仙台市青葉区・高28回 ご連絡、お見舞いをいただきありがとうございます。母校生徒のみなさんからの励まし、大変ありがとうございます。また、ニシカワ食品の”みかさ”もおいしくいただきました。なかなか連絡できないままで、本日まで大変失礼いたしました事をお詫び申し上げます。

個人的には被害はないと言えるほどのものですが、職場でも津波で自宅が全壊となった者もいるなど、大きな被害が出ています。ただ震災のあった時間が平日の昼間であったことが幸いして、職員130名は無事でした。職場は青葉区の官庁街にあり震度6強の地震直後に、いったん全員建物から退避し雪のちらつく中での点呼、そして簡単な建物の安全点検の後、最小限待機として解散となり職員は自宅に向かいました。

職場内は、様々な本、資料などが散乱しましたが、宮城沖地震に備えて書庫等を固定化していたので、ほとんど倒れずに済んだことと、建物が比較的堅牢であったことから、エレベーターや一部の天井を除けばそれ程の被害は出ておりません。その後、電気、水道、ガス、が通じない生活がしばらく続きました。

一方、地震直後に東北全域が停電し、通信も携帯および固定電話ともども、ほぼ断絶しましたので、職員の多くはワンセグ、ラジオ等で津波の襲来を知ったところです。何時間も歩いて自宅に向かったものの、たどり着けずに避難所もしくは知り合い宅にに宿泊する者が続出しました。被災地では通信状況が極度に悪化していましたので、連絡が取れないまま1週間近く音信不通のものが数多く出ました。

多くの被災地の人間は、何日も家族、親族や知り合いを求めて、瓦礫の中を避難所を探し求める状況となりました。ところがガソリン不足で、移動手段にも事欠く状況でした。そしてすべての物流も止まっていました。つづく~

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