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続・母校後輩から、被災地の先輩へ届け!

母校生カレンダー

母校生ポスター

4月末~5月上旬に、今回の被災地にお住まいの同窓生の皆さまへ、お見舞い品と共に「母校後輩からのメッセージ写真」を送らせて頂きました。

この話を知られ感動された福田泰弘氏(高6回・トッパンフォームズ)から、母校生徒さんへのお礼にと、この山田和成氏(高16回)撮影の写真を素に「ポスター」と「母校生カレンダー」に加工制作頂きました。

カレンダーは、撮影に協力いただいた2年生生徒さん320名全員、2年担任の先生10名の方に贈られました。多感なお年頃の生徒さんたちにとっても、学年全員が一堂に会した写真はきっと忘れられない思い出になることでしょう。

”先輩、後輩を繋ぐ同窓生の絆” が強く結ばれた時を刻みます。

被災地・同窓生から、お便り(9)

母校生写真撮影に協力頂いた双葉写真館

●5月10日 仙台市太白区・高5回生 今も変わらぬ女子生徒さんのセーラー服の制服を見て、懐かしさ倍増です。ニシカワパンも東加古川駅前にお店がありました。今年 同窓会で加古川へ帰ります。

●5月10日 千葉県旭市・高14回 津波被害が報じられ、当地の名前も一躍知られましたが幸い大丈夫でした。一度 東京支部総会にも出かけたい。

●5月11日 茨城県取手市・中16回 先日のお見舞い状に続き、本日は心尽くしの郷土の見舞い品を、又、激励文入りの写真をご送付戴きまことに有難うございました。厚くお礼申しあげます。幸い自宅の直接の被害は軽かったのですが、階上階の貯湯機が転倒しそのため水漏れ被害で部屋が水浸しになりました。

今度の震災で”絆”と云う言葉が大きく取り上げられていますが、私も前から感じていましたが加古川東高卒業生の”絆”の強さを今更ながら痛感した次第です。息子達にも自慢したいと思っています。

清流会々員の皆さんのご繁栄を祈念致します。先ずはお礼まで

●5月11日 茨城県守谷市 中12回 この度は結構な物を戴きありがとうございました。幸いにも無事で元気で暮らしております。ありがとうございました。

加古川東高校同窓会ご一同さまによろしくお伝えください。お礼まで

■スタッフ注:双葉写真館さんは、社長・山田和成氏(高16回)、山田育郎氏(高19回)、山田秀樹氏(高21回)と清流会ご一家です。今回、大変にご協力を頂戴しました。

被災地・同窓生から、お便り(8)

ニシカワ食品 鬼追い饅頭

●5月8日 茨城県鹿嶋市・高29回生 このたびは心温まるメッセージに加え結構なものを送って頂きましてありがとうございました。さっそく家内(高32回生)ともどもおいしくいただきました。

あらためて東高の強いきずなを感じ、良い母校を持った思いと、よき伝統を守り続けている卒業生の皆さまおよび在校生それから先生方に感謝するとともに、誇らしく思った次第であります。

当地は東北に比べると被害は軽く家の修理はいくらか残っているようですが、ほぼ普通の生活に戻っております。会社にほうも一時は大変でしたが応急復旧はほぼ完了し生産も通常の9割程度まで戻ってきております。

これからは福島原発がはやく終息し、東北の復興を祈るばかりであります。最後になりますが、今回 いろいろとお骨折り頂いた同窓生の方々、およびニシカワ食品さま、小林さま、本当にありがとうございました。

●5月10日 茨城県守谷市・高22回生 昨日、同窓会からの贈り物を受け取りました。開けてビックリしましたが、震災に遭われた同窓生に対しての後輩諸君と皆さまのご厚志と承りました。清流会の結束と東高諸君のお気持ちに触れ「東高バンザイ!」の心境です。まことに嬉しく有難く頂戴致します。

私の場合、おかげさまにて実質的被害は何もなく、無事でありました。懐かしいニシカワパンの方々や皆様方に、何卒よろしくお伝え頂ければ幸甚です。

●5月10日 仙台市青葉区・高17回生 このたびは結構な品と在校生たちの震災応援メッセージ写真を頂戴し、いたみいります。三笠をなつかしく頂きました。大変ありがとうございました。

3・11の地震以来、余震に怯える日々で、仕事上仕方なく被災を受けた建築物と戦っておりますが、幸い自宅のある青葉区は最小の被害で済んでおります。個々の建築は、それなりに何らかの被災をしており、材料や人の手配の関係上なかなか修復に至らないものがありますが、生活面ではそれほどの不自由はほとんどありません。

宮城は神戸のとき、ペアリングを組み、相互に助け合う約束が出来ていて、大勢の応援団が兵庫県からも来ており、ときおり見かける姫路ナンバーの車に涙する日々でありましたが、一日も早く立ち直って皆さまの応援にお答えできるようにがんばります。心から今回の応援にお礼を申し上げる次第です。ありがとうございました。

なお、ニシカワ食品・西川隆雄さまにもよろしくお伝えくださいますようお願い申し上げます。

被災地・同窓生から、お便り(7)

常磐線特急 ひたち

●5月8日 茨城県ひたちなか市・高11回生 昨日は予期せぬ在校生からの励ましのメッセージと共に、郷土の鬼追い饅頭を送付戴き有難うございました。

写真には震災復興のメッセージが込められており、勇気づけられますが、学年全員が一堂に会した写真も貴重な資料となるものと思います。また 饅頭は美味しく戴きました。有難うございました。

目の前にある自動車用のICを作っているルネサスの半導体工場は震災以降1000人もの人達が昼夜兼行で作業していましたが、一部ラインが動き出したとかで心なしか外来職人が減ってきております。常磐線も4月28日から特急が走るようになりました。

●5月8日 青森県六ケ所村・高5回生 みちのくも桜の訪れがあり春の香りがする今日この頃でございます。本日は思いがけぬプレゼントを頂戴致しました。びっくりするやら嬉しいやら、ただ々感謝の一言でございます。当地は他の三県に較べて被害は少なく、私の住まいする六ヶ所村も海側は当日と翌日の避難はありましたが、さしたる被害はございませんでした。

すぐ近くには再処理工場がありますので地盤がしっかりしております。停電と電話の不通が一日半続きましたが、それ以外のインフラもストップする事なくすみました。近くのスーパーの棚は空っぽになりましたが、昭和20年3月の神戸大空襲を経験した身には何ほどのことと云う思いでした。六十年前の事を思えば現在は手を差しのべてくださる人達も多く、日本は立ち直ることが出来るでしょう。母校から遠く離れている身には何より嬉しい便りでした。

同期生が、自分たちのふるさとはこの同窓会だと何時も話しておりました。孫のような後輩達の元気な写真にも元気づけられました。東京支部にも出席しなくなって久しいですが、このようなお心遣いを頂いて本当に嬉しく思っております。どうぞ皆様によろしくお伝えくださいませ。

●5月8日 仙台市泉区・高21回生 お陰さまで、私共の地域においては、先月上旬には全国からの災害派遣応援部隊さまによりライフラインの全てが復旧し、いつもの生活に戻ることが出来ましたのでご安心ください。

後輩諸君からの激励のエール、ニシカワ食品さまからの心温まる結構なお品に感謝申し上げます。母校のますますの躍進、清流会のご繁栄を心から祈願申し上げます。まずはお礼まで。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(6)

3・11から約2カ月経ちました。その後、寄せられたお便りを、抜粋でご紹介いたします。

(尚 日付けは到着した日です)

●5月6日 栃木県那須湯本町・高2回生 お見舞いの品、ありがたく拝受しました。同窓とはありがたいものですね。若い人たちの写真は、同窓のつながりを如実に知らしめるものとして、これほど強いものとはこのたび初めて知りました。関係のない人たちが聞けば、甘っちょろい感傷と笑うでしょうが、当事者はその感傷に浸れる特権者です。

この度の心温まる贈り物に、どんなににか嬉しくありがたく思っていることか。こんなにご心配いただくのがただただ申し訳なく、恐縮の極みです。どうか、小林義信さん、谷正人先生と高2の諸君、山田和成さん、西川隆雄さんの皆さんに、那須の古い同窓生からの感謝の気持ちをお伝えください。

●5月7日 宮城県大崎市・高25回生 当地では桜の季節も終わりに近づきました。あの寒かった震災の日が遠い昔のことのように思われます。全国、全世界からの励ましと援助で、私の住む内陸部では徐々に日常の生活に戻りつつありますが、震災前と現在との間に空白の一カ月がある酔うな感じがしております。

この度は、「鬼追い三笠」、「京・漬け物」、「母校生からのメッセージ写真」をお送り下さりありがとうございました。故郷を、古都を思い起こす味わいでした。食べ物の味わいは舌でなく心で感じるものだと実感いたしました。私は東北大生の時代に宮城県沖地震も経験しておりますが、今回の震災については前回とは異なり復興は一世代では無理だと感じております。我々の世代が復興の基礎を築き、次の世代につなぐのが役割かと思います。

そのような意味では、後輩の皆さまからの「メッセージ写真」は大きな励みになるものでございます。小林さま、西川さまをはじめ、関係された同窓生の皆さまに厚く御礼申し上げます。私も母校の名に恥じぬよう被災地の復興に尽力して参ります。

●5月7日 茨城県竜ヶ崎市・高17回生 懐かしい三笠をお贈りしていただき有難うございました。皆さまの暖かいお心遣いに感謝致します。近くでは地盤沈下したところもあります。連日の余震に慣れて来ましたが、やはり原子力発電が怖いです。今回びっくりしましたのは、高3回の中西千朗(浜の宮中先生)先輩が50年数年ぶりに電話をかけていただき感激しました。ふるさとからまだ覚えてくださる方がいるということを知り、あらためて加古川東高の卒業生で良かったと思いました。

母校後輩から、被災地の先輩へ届け!

母校生徒さん 2年生(高65回生)全員が、「被災地先輩へのメッセージ写真」に参加してくれました。2年学年主任の谷 正人先生(高26回)が音頭を取って下さり、双葉写真館さん(高16回・山田和成氏)にも全面協力を戴きました。

母校正門前で

先輩の皆さん どうかお元気でいてください。

復興を心からお祈りしています。後輩一同」 と。

本部と連携をとり 「母校生からの写真」「故郷の味」を添えて、東京支部から被災地5県などにお住まいの同窓生・90名の皆さまにお見舞いを送らせて頂きました。

この”故郷の味”はニシカワパンでお馴染みのニシカワ食品さん(高13回・西川隆雄氏、高40回・西川隆博氏)のご好意で提供賜りました。

今、自分たちに出来る事。心の支えに少しでも何かお役に立てればと、松井支部長の提唱を受け支部役員一同で相談し実行させて頂きました。清流会同窓生の皆さまの熱い思いが届きますように。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(5)

4月2日 栃木県那須町・田中一郎氏(高2回生) 「前略 震災見舞いのお便り拝誦、ありがとうございます。あの大激震が襲った時、凄い家鳴りの中、『大津波が来ます。避難してください。』とテレビがはりつめた声でくりかえしていました。あれから三週間経ちますが、被災者が『なにもいえません』と何度も言っています。大自然の巨大な力をまざまざと見せつけられ、残された惨状を前に思考力は疎か感情や感覚さえ萎えてしまった。いや考えることが多くて整理がつかない。悲しい諦めなど胸の中に閉じ込めたから、等々想像するだけです。影響力のある言葉ですね。原発も大変ですね。思うに政治家もこの事態に及んで慌てて勉強したという印象、学者も『知見が』どうとか、事故後の対処法など過去の事例がないことで適切、適確な意見を出せないように思える。だから世界中、慌てふためいていますね。命を張る現場で働いている人達のお陰で何とか収束に向かっているように思えるのですが。冗句くだくだとご容赦あれ。頓首」

4月3日 茨城県水戸市・北村(金沢)千栄子氏(高21回生) 同期生からご連絡頂きました。「ご本人は元気です。神戸のお嬢さん宅へ避難されています。」

4月4日 福島県相馬市・大西幸広氏(高34回生) 「大西です。現在は本籍、住民票所在地は相馬市。実質は仙台市在住です。単身赴任で週末だけ相馬に帰る生活です。この度は、心温まる封書頂きありがとうございました。私は、大学卒業と同時に、就職先の職場が相馬市となり、それ以来ずっと相馬に住み続け丁度人生の半分を過ごしたことになります。幸いにも、私の家は中心部より高台にあり、物的にも人的にも(色々ありましたが)被害なく助かりました。20年以上住み続けていますと、親戚、友人も多く、非常につらい結果にも遭遇して心を痛めています。福島県は、原発の関係もあり、報道関係も余り入っていないので見過ごされがちですが、宮城県、岩手県と同様に無残な状況です。原発周辺は捜索の手も入っていないと思います。今回の件で、小山さまが加古川東出身だということを初めて知りました。現状、相馬のために何も出来ていませんが、これからの復興は長い時間を要すると思いますので、徐々に永く協力してやっていこうと考えているところです。」

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(4)

3月31日 仙台市若林区・藤本雅之氏(高22回生) 同窓生の方からご連絡を頂きました。「高22回藤本雅之氏 震災後3日ほどして知人に本人と家族は無事との電話があったとのことです。電話はすぐに切れて、家の状況、連絡先等は未だ不明で、その後連絡は付いておりません。新しい情報がくれば、又ご連絡します。」

4月1日 鹿嶋市・谷澤安則氏(高29回)、谷澤(高橋)京女氏(高32回) 同期生の方からご連絡を頂きました。「谷澤です。ご連絡が遅くなりましたが家族全員無事です。自宅は屋根瓦が数枚破損し、柱も少し傾いて壁に少し亀裂が入っておりますが当面の住まいには問題ないようです。ライフラインについては2日程度断水しましたが現在は普通の生活に戻っています。ただし、数キロメートル離れたところでは津波や地面の液状化等で現在も復旧中です。会社のほうも大きな被害を受けて現在復旧中で疲れております。担当の復旧が一段落して26,27日は休んでおりますが26日はほぼ1日中眠っておりました。年齢をとったのと普段身体を鍛えていないためだと思います。今日はかなりすっきりしており余裕もできました。地震当日は携帯電話がつながらず家族の安否確認ができなくなりましたが、携帯メールがなんとかつながることがわかり、助かりました。東北地方ではこちらと比べ物にならない被害の上、原発の問題もあり大変みたいです。はやく原発がおさまってほしいものです。」 ご本人、3月27日のお便りです。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(3)

3月29日 茨城県神栖市・柴田啓二氏(高34回)

「連絡ありがとうございます。勤務先、茨城県神栖市(花王㈱鹿島工場)で被災しましたが、ケガはなく元気です。3月に和歌山への転勤の辞令を受け、引っ越し準備中のことでした。少し遅れましたが、今現在は和歌山への転居をすませました。頑張っておられる同窓生のことを知り、またこのようなお手紙、ツイッター集をいただき、自分のことで精一杯な自分を恥じております。ありがとうございました。」

3月30日 仙台市青葉区・山口(手島)由紀子氏(高18回) 「前略 ご心配頂きありがとうございます。三月初めより両親の世話で横須賀に来て居りますので、十二日に一度仙台へ戻るつもりが前日の大地震で、そのまま滞在しています。仙台自宅は青葉区の山側で被害なく家族も無事です。ガスはまだですが、電気、水道が使えるようになり、食料品、日用品も少しずつ手に入るようになったとのことです。仙台のことも気がかりですが、高齢の両親も支えねばならず、新幹線の再開を待っているところです。被災地の方を思うと胸がくるしくなりますが、まずは自分のしなくてはならないことから・・・・と心をひきしめている毎日です。みんなで力を合わせ「ほっと一安心」をくりかえして復興していきたいものです。どうぞ皆様も体調にお気をつけてください。」

3月30日 青森県東津軽郡平内町・高橋(水野)志保子氏(高17回) 「前略 お忙しい中 お見舞い頂きましてありがとうございました。私達には特に被害はなく、宮城県在住の娘一家が心配されましたが、幸い全員無事でした。電気、水道は復旧しましたが、まだ下水道に不自由している様子です。各地で被災して苦しんでおられる方々を何とかして差し上げたいと思いますが、何も出来ないもどかしさをを感じております。ガソリン不足も解消されましたので、せめてこれからの生活の一助になればと少ないですが、義捐金を振り込む予定でおります。終わりになりましたが、御地にも被害があり、計画停電や水道水の放射能汚染等お困りのご様子、お見舞い申し上げます。ネットが使えない生活環境で同封の皆さまのお声は有難かったです。どうぞ お身体ご自愛くださいませ。合掌」

3月31日 仙台市青葉区・河井隆博氏(高15回) 「早速の地震お見舞い、感謝致します。当方近隣地区は家、家族も無事、昨日ライフラインも通じて元気に過ごしています故、ご安心の程。」

3月31日 福島市北沢・野崎(河原)知子氏(高24回) 「思いもかけぬ清流会・東京支部からのおたより、びっくりすると同時に有難くて胸が熱くなりました。悪夢のような3月11日から半月が過ぎました。<こちらの様子をほうこくいたします。> 我が家のある福島市は震度5強、家の倒壊等は少なく、津波の被害もありません。ライフラインも十日程でほぼ回復しました。現在 依然として食料不足、ガソリン、灯油不足は続いておりますが徐々に改善の兆しも・・・。何よりも今一番県民を悩ませているのは原発問題です。先の見えぬ不安な毎日が続き、ぐったりです。東電、国に対する怒りもピークに・・・!! 一刻も早く終息させてほしい。切に願っております。PS 救援物資等 必要ありません。温かいことばが一番有難いです。

3月31日 仙台市若林区・間処弘雄氏(高11回) 同期生の方から、ご無事だとお知らせ頂きました。

3月31日 竜ヶ崎市・朝藤 久氏(高17回) 同窓生の方から、ご無事だとのお知らせを頂きました。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(2)

3月28日 福島県相馬市建設部長・小山健一氏(高48回)   「福島県相馬市の小山と申します。この度は、当市に多大な救援物資を送って頂き、誠に有難うございました。相馬市は、海の幸豊富な、伝統古き良き町ですが、今回の災害で、海辺は町ごと津波にさらわれてしまいました。今は、自衛隊や警察、消防、地元消防団と一緒になって、行方不明者の捜索を行いながら、避難所の支援や、仮設住宅建設に向けての調整等を行っているところです。町ごと流され、1,000ha以上が水没するという前代未聞の被災で、捜索や瓦礫の撤去も思うように進まず、町の復興の絵姿もなかなか描くことができていませんが、国交省から出向している者として、国全体のビジョンも見据えながら、相馬市の建設部長として、死力を尽くして相馬市の復興のために頑張りたいと思います。被災地のために、今後もご支援ご協力のほど、よろしくお願いいたします。」

3月28日 仙台市青葉区・竹内朋司氏(高17生) 「前略 暖かい言葉をいただきまして真にありがとうございます。さいわい仙台市内の中心部に住んでおり被害も最小で暮らしております。又、会社(鹿島)からの支給品もありますので、私より被災をされた方に手厚くご支援下さいますよう、お願い申し上げます。ありがとうございます。草々」

3月28日 茨城県取手市・横田博二氏(中16回) 「御見舞有難う御座います。お陰様で小生宅は13Fのマンション(7F)で建物は無疵でしたが、什器の転倒破損で食器の破損、額、人形ケースが毀れた位ですが、最悪は上層階の温水器転倒による水漏れで三日間水漏れが続き、和室、物置が水浸しで、後片付けに難儀しました。人間(老妻と二人暮らし)には怪我がなかったのが幸いです。被災地に住み、被災された先輩、後輩の皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。敬具」

3月28日 茨城県ひたちなか市・岩坂達夫氏(高11回) 「お見舞いありがとうございます。震災の直接的な被害はほとんどありませんでした。停電が40Hr、上水の回復が遅れた(3月22日回復)とは云え、昔使っていた井戸があり、プロパンでしたので日常生活に不自由はありませんでした。入手困難だったガソリン、灯油も出回るようにになって徐々に回復しております。周辺の家屋では棟瓦が落ち、塀が倒れていましたが、後片付けが進んでおります。地盤、地割れなどによりJRの不通、橋の通行止めなどはありますが、常磐線土浦ー勝田間の4月上旬には復旧すると云われています。井戸水の供給、情報の交換などを通じ、近隣の人たちとの連帯意識も進んだと思っております。それにしても、熱い、熱いお見舞文を戴き感激し、この拙文を送らせていただきました。ありがとうございました。3月26日」