過去のニュース

7回生・東西合同旅行

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古希を機に始めた東京・関西有志での一泊旅行、今年で4回目になりました。毎年5月に集まっています。1回目は平成18年・伊豆、19年・京都、20年・白浜、そして今年は下呂・高山へ出かけました。70歳を越した爺さん、婆さん共がこの日ばかりは少年、少女に戻り、ワイ々ガヤ々賑やかにやっています。今年は特に、I さんが詰め襟、セーラー服のアルバム写真を加工して持参してくれたので、全員それを見て感慨無量!年輪を重ねたお互いを見比べて歓声、嬌声を上げながらも歳月の流れを振り返りました。来年は琵琶湖周辺を企画。同窓生の輪がもっと拡がるのを期待しております。7回生年次幹事・井上晴視

「将棋の日」ご案内

第35回将棋の日 in 棋士のまち加古川

主催 :将棋の日実行委員会、日本将棋連盟、加古川市、(財)加古川市ウェルネス協会
後援 :文化庁、加古川市教育委員会、兵庫県、兵庫県東播磨県民局、ラジオ関西、
朝日新聞社、神戸新聞社、産経新聞社、毎日新聞社、読売新聞社
協力 :加古川観光協会、NHK、BAN-BANテレビ、鶴林寺
協賛 :全日空

東京支部・年次幹事会のご案内

本年度の東京支部・年次幹事会のご案内です。

日時 21年9月10日(木) 19:00?21:00

場所 アルカディア市ヶ谷

よろしくお願い申し上げます。事務局・井上拝

兵庫県立加古川東高等学校同窓会
清流会・東京支部
支部長  松井昭憲(高30回)
副支部長 今田忠彦(高14回)
事務局 井上晴視(高7回)
平成217月吉日

広瀬敏郎氏「気ままなコンサート 2009」

10月17日(土)17:00開演 草月ホール(赤坂)。
チケットはコンサート事務局まで。03-3533-1300

清流会本部総会

8/2(日)加古川川まつりの日、駅前のホテルで開かれました。旧制中学の大先輩たち、 東京支部からも多数参加されたようですが、何故かこの会には全員の出席者名簿が準備されていないので、どなたがご出席かわかりません。同期会ではなく、先 輩、後輩の交流を深める場なのですから、理解に苦しみます。
今年は本部役員さんも大幅に変わりました。新役員さんの頑張りに期待します。

第36回・将棋の日

将棋界最大のイベント・本年度の「将棋の日」が11月7日、8日に加古川で開催されます。メイン会場は加古川市民会館。
羽生四冠王など著名プロ棋士が多数参加。鶴林寺など地元紹介を含めてその模様はNHKで放送されます。お楽しみに。

北京オリンピック代表の早狩実紀(はやかりみのり)選手が、なぜ 加古川東高校で練習をしているのか?

2008年北京オリンピックで、陸上女子3000m障害に出場する早狩選手は、 東高卒業生ではありませんが、現在、加古川在住で、東高でよく練習しています。

陸上部OBの一人から、どういう経緯でそんな人が東高で練習することになったの か知りたい(実際には「なんでそんな人が東高なんかで練習しとんねん..」だった でしょうか?)という話が出たことがきっかけで、陸上部顧問の河岡先生(高32回) に話をうかがうことができました。その話を先生がまとめて下さいましたので、以下、 ご紹介いたします。

加古川東陸上競技部
顧問 32回生 河岡 稔和

京都出身(槙島中学・京都府立南八幡高校・同志社大学 現在、京都光華女子職員)の 早狩選手と、加古川東高校とのつながりを誰もが不思議に思っています。32回生の中西 君にもほとんどを話していませんので、詳しいことを書いておきます。

まず、早狩の競技暦について紹介しておきます。中学2年生の時は800mで全国2位、 中学3年生では800mで全国1位になりました。高校に進学しても順調に競技成績を伸 ばし、高校3年生では3000mで全国インターハイ1位。国体では3000mを全国高 校新記録で優勝しました。大学1回生の時、高校の記録が標準記録を突破していたので、 東京で行われた世界陸上に3000mの日本代表として出場しました。

そのころ私は、新採用で赴任した県立宝塚東高校で陸上部の顧問をしており、県大会で 活躍できる選手も何人か出ていました。その中に、早狩の1学年下の女子で、全国ランキ ングで10位に入る有望な選手がいました。しかし、彼女は2年生で半月板を損傷し手術 することになり、全国インターハイは出場することができませんでした。故障が長引き、 結局高校時代には満足に練習ができませんでしたが、大学進学後は復活して活躍できるよ うに、在学中に練習計画の知識と心構えを徹底的に指導しました。

彼女は同志社大学に進学し、陸上部では早狩の1年後輩になりました。残念ながら1年 もたたないうちに退部してしまいましたが、早狩とは気が合ったようで、退部後も良い関 係が続いていたようです。私も転勤で実家のある高砂に戻り、松陽高校で勤めるようにな っていました。

順調に競技成績を残してきた早狩も、大学2回・3回生の頃には自分が思っているよう な結果を残せず、いわゆるスランプになっていたようです。早狩がどう練習すればいいの か迷っていた時、途中退部した私の教え子から、いろいろとアドバイスをもらっていたそ うです。彼女になぜそれほどの知識が有るのか、早狩には不思議だったようです。

早狩が4回生になる春、その教え子から私に「早狩さんが先生(私)と話をしたいと言 っています。いいですか?」と連絡がありました。私は「高校新記録を出したり、日本代 表になるような有名な選手にアドバイスができるはずがない」と断りました。しかし、「ど んな話でもいいから聞かせて欲しい」ということで、逆に私が有名な選手の話を聞くのも いいかと思い、会うことにしました。(何の実績もあげていない指導者に、わざわざ京都か ら兵庫まで会いに来る早狩の行動力に驚きました)

明石であった試合の審判の合間に話すことになり、少ない時間で何から話をすればいい のか分からないまま、「こんな時はどうしている?」「こんなことは知っているか?」と質 問すると、驚いたことにほとんどが「知りません」「考えていません」の答えでした。私に してみれば、何も知らない、考えていないでよくあれだけの競技成績を残せたなと、早狩 の潜在能力のすごさをあらためて知ることになりました。また、早狩の体のケアをしてい る治療院も高砂にあったので、お互い親近感を感じ、話しも弾みました。20分ほど話を していると、早狩が「今度の日本選手権までの2か月間の練習計画を立てて下さい。」と言 い出し、私は「日本一位を決める大切な試合の責任はもてない。」と断りましたが、「どう なってもいいのでお願いします。」(本当にどうなるのか分からない状況でも、すぐに決 断できる思い切りの良さを感じました)と頼まれ、それ以上の断る理由がないので引き受 けることにしました。それから2か月間、毎日電話で練習のやりとりを続けました。私は 土曜日、日曜日でも高校の試合があり、早狩の練習を見ることは少なく、タイムの設定の ほか「こんな感じで」とか「こんなイメージでとか」の抽象的な表現で指示を出していま した。そして迎えた日本選手権では、8位入賞を果たし、高校の時の記録に迫るセカンド ベストで走ることができました。本人も結果に満足し手ごたえも感じただろうと、私も安 堵し、ほっとしたのを憶えています。レース後、すぐにお礼の電話がかかってきました。 驚いたことに、さらに大学の最後まで練習計画をたてて欲しいと頼まれました。まさか大 学の最後までとはまったく考えていなかったので、迷いましたが自分の考えている練習が 力のある選手にも通用するのかどうか、やってみたい気持ちも湧き上がり、引き受けるこ とにしました。

4回生の夏休みは、高砂陸上競技場と高校のグラウンドで松陽高校の陸上部員と練習をし ました。秋の試合でも順調に結果を残し、早狩にたくさんの実業団から勧誘があり、どこ の実業団を選ぶのか興味がありました。ところがある日、京都から「先生の所で練習でき る条件の実業団と話をまとめることができそうです。大学卒業後も練習を見てもらえませ んか」という信じられない電話がありました。当然今回は「私は高校の教諭なので、それ は不可能だ」と断りました。すると、「高校生の生徒と同じ練習でいいから練習させて欲し い」と返事がきました。「迷惑はかけない」「責任は自分で取る」等々の話があり、だんだ んと私も「やってみるか」という気持ちになってきて、引き受けることにしました。今か ら14年前の出来事です。

早狩は大学を卒業してから高砂に住み、松陽高校のグラウンドで6年間、早朝練習・放 課後の練習に参加しました。8年前、私が加古川東高校に転勤してからは、住所も加古川に 移し、加古川東高校のグラウンドや日岡・鶴林寺で陸上部の選手とともに練習しています。 ここ数年は高地トレーニングのために海外遠征することが多くなっています。

早狩は中学2年生から現在まで20年間日本のトップクラスで活躍し、35歳で初めてオ リンピックの切符を手にしました。テレビや新聞の報道でもよく言われていますが、今ま でに、これほど長い間活躍をした選手はいません(ワールドカップ・アジア代表、世界陸 上日本代表3回、世界クロカン日本代表数回等)。選手生命の長さ、故障の少なさは彼女が 決して型にはまらず、自立した競技者として日々練習に取り組んできた証しだと思います。

8年間、加古川東高校のグラウンドで硬球やサッカーボールを避けながら陸上部員と一緒 に走ってきました。日本のトップアスリートと共に汗を流し練習する部員たちは、彼女に あこがれ、多くのことを学んでいます。

早狩は高砂や加古川でたくさんの人に出会いました。加古川の河川敷で走っていても、 知らない人が声をかけてくれるそうです。気さくで飾らない人柄から、多くの人たちにか わいがられ、応援してもらっています。世間の常識では考えることができない事を早狩は たくさん実現してきました。

早狩は卒業生ではありませんが、応援よろしくお願いします。

ハリマ産業新聞 第1719号:平成19年は約2百名が参加 清流会東京支部総会ご報告

クイズ映画館の数、高砂線の駅名?
地元加古川からも多数出席

去る十一月十六日に開催いたしました清流会東京支部総会は、 加古川から木下正一会長(中18回)、西川隆雄副会長(高13回)、 廣岡俊二教頭、谷校内幹事(高26回)、ハリマ産業新聞社のご 来賓諸氏の参席を頂き、出席会員百九十五名、総勢百九十九名 と、お陰さまで本年も盛会でございました。

本年の同窓生ゲストスピーカーは、竹花豊・前東京都副知事・ 現東京都教育委員(高20回生)にお願いし、同氏が主宰される 「おやじ日本の会」など実に意義深いお話を聞かせて頂きまし た。

東京支部として、今回特筆すべきは新卒業生(高59回)が初 めて参加してくれたことです。これも本部、学校当局のご協力 あっての事と、感謝いたしております。壇上の諸君にはご自分 の若かりし姿を重ねられ、感慨にふけられた先輩諸氏も居られ たのではないでしょうか。樽本庄一加古川市長(高11回)から もメッセージが寄せられ、半世紀を超える同窓生が集い語る実 に懐かしいひと時でございました。

東京支部では本年秋の、古門昭生氏(高7回)が旭日小授章 を受けられ、当日、清流会本部・木下会長よりお祝いが贈られ ました。

古門氏は神戸商戦大学卒業後、大阪商船三井船舶の外国航路 船長として活躍され、現在は東京海洋大学(前東京商船大学)・ 大学院で講師として一級水先人養成コースを担当、後輩の指導 にあたられております。

恒例になりました「故郷クイズ」では、TBS・杉尾秀哉氏 (高28回)の名司会で大爆笑。同窓生諸氏から寄せられた賞品 を巡り大いに盛り上がりました。クイズの一部をご紹介します。 地元ならお分かりでしょう。

Q昭和二十一年から四十年前半まで、加古川には六つの映画 館があった。
A正解です。第一・二新興座、旭クラブ、大劇、日映、加古 川劇場の六つがありました。現在は「ワーナー・マイカル・シ ネマズ加古川」の一館です。

Q加古川市民の苗字ランキングベスト3は「田中・山本・藤 原」の順である。
A不正解です。一位「田中」、二位「山本」ですが三位は「 大西」です。

Q加古川の地場産業で日本三大産地として有名だったのは「 靴下」である。
A正解です。大正十三年に自動編立機の輸入や技術革新を経 て、平成三年のピークまで、奈良・東京につぐ日本の三大産地 として君臨してきました。

Q一九八四年に廃線となった高砂線の駅で高砂がつくのは「 高砂・高砂南口・高砂浦」である。
A不正解です。正解は「高砂北口・高砂浦」です。

Q文学界で著名な「三島由紀夫」の祖父の本籍は播磨町であ る。
A不正解です。志方町が正解です。

いかがでしたか。勿論全問ご正解でしょうね。遠く離れた東 京ではこんな他愛もない話も加古川につながります。

最後に、三宅恭子さん(高7回生・元声楽部)のリードで校 歌と今年から加えた唱歌「故郷(ふるさと)」を全員で合唱し て郷里を偲び、又の再会を約して散会しました。また、来年は 十一月七日(金)です。皆様お誘い合わせでお出かけ下さい。 【記事提供・東京支部事務局 井上晴視(高7回)】

帆船日本丸(SAIL TRAINING SHIP NIPPON-MARU)

ハワイ・オアフ島沖を帆走中の日本丸

ハワイ・オアフ島沖を帆走中の日本丸

「太平洋の白鳥」「海の貴婦人」と呼ばれ、国民の間で慕われてきた練習帆船初代日本丸は現在 横浜(JR桜木町駅前・みなとみらい地区の港に繋留)で保存活用されています。帆船は、世界的に見ても数少ないものであり、その中でも特に同船は、昭和5年に故郷・兵庫県の川崎造船所で建造された後、半世紀の長きにわたり大海原で海の男を育て今日の海国日本の礎を築いてきました。また、海の文化財としても貴重なものであり、その栄誉と功績にふさわしい形で大切に保存されていくことでしょう。

この栄光ある初代日本丸とその後継として、昭和59年に建造された新日本丸両船の船長を歴任されたのが、我等が同窓生の大西典一氏(高15回生)です。 Continue reading 帆船日本丸(SAIL TRAINING SHIP NIPPON-MARU)

支部総会2006


総会写真