過去のニュース

母校理数科生徒さん・研修旅行

東大駒場キャンパス

昨年に続き本年も理数科1年生(高66回生)40名の生徒さんが来られます。8月24日~26日 都内とつくば見学です。

● 東大・駒場キャンパス

● 国立科学博物館・つくば実験植物園

● つくばエキスポセンター ● つくば宇宙センター ● 産総研・地質標本館

● 国立科学博物館

今年の東大オープンキャンパスは3・11の関係で中止となっていますが、東大・増田 茂教授(高25回)のご好意で、駒場キャンパスにて特別講義をお願い出来ました。

今年もささやかながら、東京支部先輩一同からの差し入れをさせて頂きました。

昨年は神戸新聞社が取材に来られました。昨年8月の記事 もごらんください。

■スタッフ注:増田教授へのお願いには、高25回幹事さんにご尽力いただきました。

今年は “外部との接触を制限する”?? との引率教師のご方針なので、差し入れは密やかに事前に宿泊ホテルにお届けしておきました。又 神戸新聞社からの取材申し入れも、せっかくなのですがと丁重にお断り申し上げました。

加古川の男性合唱団・「風」、つくばでジョイントコンサート

2004年 加古川市・アラベスクホールにて

クリックしてください。

9月3日(土) 18:00 つくば駅前の 「ノバホール」 で、地元合唱団「コスモス」とジョイントコンサートを開く。入場無料。

「風」 は平成10年(1998年)に加古川市周辺の男性愛好者が集まり活動を始めた。最初は18名でスタートしたが、現在は52名の会員で活躍している。

平成12年(2000年)から定期演奏会は毎年6月・父の日に行い、今年で12回目となる。

各地で賞を取るなど、今や男声合唱界では有名な存在になっている。

指揮:畑 博道氏(高18回)。ピアノ:満多野志野氏(高39回)。宮下悦司氏(高8回)、入江隆彦氏(高18回)他、仲間には清流会メンバーも多い。皆さん 同窓生の活躍をご鑑賞ください。

※画面をクリックすると、大きくなります。

東高2年・松本岳大君 高校総体2位入賞

8月6日・神戸新聞

岩手県で開かれている全国高校総体で、母校松本君が2位に入りました。先日の世界ユース(フランス・リール)では3位、堂々の銅メダルでした。後輩の快挙に拍手を送ります。

記事をクリックしてください。

加古川東、ベスト8入りならず

7月26日、読売新聞全国版

7月25日・明石球場、明石商業に敗れました。後輩諸君の健闘を讃えます。

支部HPに「校歌」が登場しました

支部HPに「校歌」が登場しました。トップページ左側、メニュー欄にあります。

この編曲は、平成16年10月の母校創立80周年記念に収録されたもので、吹奏楽、ピアノ、三部合唱によるフルバージョンの素晴らしいものです。お聞きになられた感想などお寄せ下さい。

メディアチーム(リーダー岸本雅久氏・高31回)の皆さんにご苦労願いました。この後引き続いて、旧制中学校歌、高校第一応援歌、第二応援歌、50周年頌歌など、順次作業に入ります。ご期待ください。

● 加古川東高校校歌(吹奏楽、ピアノ、三部合唱によるフルバージョン)  指揮:花坂 響。演奏:本校吹奏楽部。合唱:本校合唱部。ピアノ:黒岩 史(本校合唱部、高59回)、松浦基悦。

● 現校歌は昭和24年秋、母校創立25周年式典にて発表されました。作詩:富田砕花。作曲:須藤五郎。あの名フレーズ「光は常に東より」は、国語教師・高橋きさの先生の作が採り入れられています。

再生ボタンを押すと演奏が始まります。周囲の迷惑にならないよう、音量にご注意ください。

清流新聞 昭和23年7月20日号より

●古い清流新聞から発見!「校歌募集」の記事がありました。昭和23年7月20日号です。先輩たち、なんと夏休みの宿題だったのですね。

加古川東、久々のベスト16入り!

神戸新聞・7月23日記事をご覧ください。次の試合は、7/25(月)10:00明石球場です。

母校体育祭・6月18日

梅雨空の中、母校体育祭が行われました。後輩諸君の元気な姿をお楽しみください。背景の校舎は現在、耐震化工事中です。

■スタッフ注:この写真はPTAからご提供頂きました。その昔、運動会と云えば、菊香る抜けるような秋空の下が決まりだったのですが、これは老人の寝言か(笑)

6月7日は「母校創立記念日」

写真は現在のプール方面から、撮影されたものです。

昭和3年(1928年)6月7日に、全学年・五学年が揃い、当日を兵庫県立加古川中学校の創立記念日としました。

創設は大正十三年(1924年)ですが、毎年 一学年ずつ積み重ねていきました。

母校通信「創立記念日に寄せて」に詳しい説明が記されています。

■スタッフ注:写真は、旧制中学大先輩からご提供頂きました。尚、上記説明文の中で開校式が加古川高女(現加古川西高)で行われたとあります。これは旧校舎で、現西高の場所ではありません。当時、女学校は加古川小学校の隣り、現加古川税務署の辺りにありました。

ぶらり加古川・・・史跡放浪記(宮本伊織と泊神社・加古川町)

泊神社(通称・木村神社)の山門

泊(とまり)神社は加古川で歴史の古いお社です。泊の名前から、かっては海辺だったのがわかります。

江戸時代の初期、荒廃していた神社を再建したのが、高砂市米田町に生まれたと言われる宮本伊織です。

伊織は明石藩十万石小笠原家の家臣・田原貞次です。当時、明石に滞在していた宮本武蔵に認められて彼の養子となり、名を宮本伊織貞次と改めました。吉川英治の小説でもご記憶がお有りだと思います。寛永九年(1632年)に小倉に移封された、小笠原家の筆頭家老にまでなっています。

伊織はもともと泊神社の氏子であり、小倉にあっても故郷の氏神の荒廃に心を痛め、資金を提供して一族でこれを再建したのでした。

再建から約三百六十年の風雪に耐えてきた本殿や神楽殿、江戸時代末期に建築された能舞台などの建物は、平成二十年に国の登録有形文化財に選定され、同年九月に加古川能が開催されました。宮本武蔵、伊織父子と加古川のご縁に思いをはせてください。

■スタッフ注:「広報かこがわ・六月号」から抜粋紹介しました。岩坂純一郎氏(高20回)が担当執筆されています。詳細本文は、公式HPでごらんください。

筆者などは、通称の木村神社で親しんでいました。秋の祭礼には”赤”(天狗)が大暴れして逃げまわったものです。加古川中学への通学路にもなっていて、前の宮川(泊川)でよく”じゃこ釣り”や”菱採り”などしていました。戦時中には境内に尾上飛行場の戦闘機が退避されていて、兵隊さんが番をしていたのも思い出されます。

旧制中学、旧制高女。男女共学その後(1)

<折半交流前後の生徒の感想> 東高の巻(上)

遂に待望?の男女共學が實施され對面式の行われた一日以後男女記者二、三人は或は女生徒のかたまりの中へ割込み、或は男生徒の喊聲の中に入ってその聲を聞いた。以下はその記。

記「交流前に両校のどちらへ志望していましたか」

女「幼い頃からの憧れであった學校に入ってその學校で卒業したいですワ。」 男「友達と別れるより舊の學校に居りたい。」

女「好奇心からかも知れませんが中學校へ行きたい気持ちもありました。」 男「通學上の便利もありますのでこちらになってやれ々です。」

○ 一般に男女學生は共に居りたかったらしい。しかし女生徒の一經は男生徒の學校へ憧れて居た様だ。

記「貴女はこちらに来た第一印象は此の學校をどう感じましたか。」

女「何だかおかしな國へでも来た様な感じがします。」 女「土足のまゝ上がって勉強する事と男生徒のやかましいことに驚きました。」 女「校庭は案外美しく花などが植えてあり池等あって感じが女學校より良ろしい。」 女「男の方は何でもする事がてきぱきして居て良いですワ。」

○ 女生徒は厭倒的に舊加古中はきたないのに驚いたという意見が多かった。

記「東高へ来ると定った時はどんな感じでしたか。」

男「思い通りに願いが叶って嬉しいよ。」 女「何事も運命と思って居ます。こうなった上は環境に應じたいと思います。」 女「長い間居た學校を離れる時には淋しく悲しくて仕方がありませんでした。」

記「これまで東高には女生徒が入るのはほとんど無かったのですが女生徒が入って来てどんな感じがしましたか。」

男「女生徒が来てから男女共不活発になっていけない。」 男「教室で女生徒と隣り合って居ると話が出来ぬから男の者同士並べてほしい。」 男「女生徒は元気で朗らかであると思った。」 男「女生徒が時間中静かなので男生徒も自ずから静かになり、以前よりも勉強し易くなった。」 男「確かに學校がきれいになり和らげられた様な気がする。

○ 男生徒は女生徒に對して好奇心でいたらしいが今となって女生徒が入って来て恥ずかしい様子である。つづく

■ スタッフ注:昭和23年(1948年)7月1日以降の取材記事。