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ぶらり加古川・・・史跡放浪記(光念寺の青蘿塚・加古川町)

寺家町商店街から南に入った路地に、光念寺があります。

この境内には、江戸時代に加古川に住み、松尾芭蕉の流れをくむ俳諧師とされる栗本青蘿(くりのもと せいら)の碑が建っています。元文五年(1740年)姫路藩藩士の家に生まれました。やがて加古川に草庵を構え、多くの門人が交流する場となりました。

明石の人丸山にある「蛸壺塚」はこの頃に青蘿が芭蕉の七十五回忌を記念して建てたものです。五十二歳で亡くなり光念寺に葬られました。

辞世の句「船ばたや 履(くつ)ぬぎ捨つる 水の月」が刻まれています。芭蕉を追い求めた俳人の潔い心情を詠んだ句です。

一門が活躍した時代には、加古川に風雅を求めて、九州や東北からも人が訪れたそうです。当時の加古川を風流の地にした文人の活躍を想像されるのもいかがでしょう。

「広報かこがわ・4月号」からの抜粋紹介です。詳細は公式HP・本文をご覧ください。

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