そのころの中学校では、正課の体育の時間に柔道と剣道の両方を習い、教練の時間には銃剣道を稽古していました。
剣道や柔道を稽古する大きな武道館は、体育館とは別棟で、運動場にありました。
武道館の中は、板張りの剣道場と畳敷きの柔道場が、ひと続きの大広間になっていました。柔道は宮川徳一先生(徳さん・ちょびひげ)でした。白帯、茶帯そして黒帯の先輩は先生より恐かった。
別室は、手入れの行き届いた三八式歩兵銃や木銃が収納してある兵器庫になっていました。
-農業実習-
農業という時間がありました。
学校には、運動場を囲った低い塀の向こうに菜園程度の実習園がありました。
実習園の向こうに続く田んぼの中に高砂線の野口駅があり、別府からの軽便鉄道が接続していました。
高砂線は、高砂の軍需工場へ行き来する貨物列車が往来していて、別府線は神鋤印(かみすきじるし)の多木肥料のある町まで通じていました。
農業の先生に、サツマイモのつるの植え方には水平植え、斜め植え、舟底植えなどがあることと、そのうち、舟底植えの収量が最もよいことを教わりました。
農林一号の苗はお盆の頃になると、畑が地割れするほど大きなイモが育っていました。
■スタッフ注:写真は旧制中学アルバムから拝借しました。
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