高4回生の皆さんがこの10月3日に加古川で、”アフター喜寿” と銘打って同窓会を開かれました。このご様子を、地元ハリマ産業新聞の記事から紹介いたします。
高4回生は昭和27年(1952年)の東高卒業です。この年次のかたは終戦翌年の昭和21年(1946年)に男子は旧制加古川中学に、女子は旧制加古川高女に入学、戦後の学制改革の波に翻弄された高校時代をご経験の年代です。敗戦国の悲しさでGHQの言うまま、今のお若い方には想像もつかないような揺れ方でした。
以下 佐々木善正氏(高4回・在加古川)が寄せられた記事の抜粋です。
『三年になると、「男女共学」になるので~と言われ「ええっ」とびっくり。ピンポン玉でABに分けられ一方が加古川女学校(現加古川西高)へ転校させられた。女学校側からはその逆で「異議は一切認めず」。
さらに半年後には加古川の流れを挟んで西側、主に印南郡の人は西高、東は東高と定着させたが、高砂の生徒は高砂高、三木方面は三木高と大揺れに揺れた。
教室不足はもちろん、更衣室、女子便所も突貫工事で造られた。殺風景で男ばかりだった学校に若い女の子がまぶしく見えた。
こうして巣立った四百五十人、さすがに卒業後六十年ともなると物故者も増えてきたが、今回の出席者は六十二人と大勢が集まった。
そして「目標は決まった。来年は傘寿(さんじゅ)の前々年や、八十を越えたら米寿を目指そう」と意気盛んに再会を約した。』 とありました。
■ スタッフ注:高5回生からが新制中学を卒業した、現行の六・三・三制への完全移行組です。スタッフ(高7回)の時分でも、狭い電気もない部室は不足していて、軟式庭球部などは男女共用で交互に使用していました。現在のエアコン付き校舎からは想像も出来ない時代ですね。印南郡から東高へ来れない学区制は、昭和27年から廃止されました。ところで GHQ とか マッカーサー って分かりますか?(笑)
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