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「加古川東高が写真メッセージ」・産経新聞記事ご紹介

(C) 産経新聞社

産経新聞5月14日朝刊・播州版に加古川東高、清流会の記事が掲載されています。

■ スタッフ注:この記事の中では、ご協力戴いた同窓生のお名前は省略されていますが、写真撮影は双葉写真館・山田和成氏(高16回)、和菓子はニシカワ食品・西川隆雄氏(高13回)、カレンダー加工はトッパン・福田泰弘氏(高6回)、又 生徒さんへの呼びかけは母校教諭・谷 正人氏(高26回)にお願い致しました。ご快諾、只々感謝です。尚 写真撮影は正確には4月12日でした。

被災地・同窓生からの、お便り(10)

弘前城の桜

●5月12日 青森県弘前市・高4回 弘前城の桜は満開をすぎ、濠を漂う花筏の風情も捨てがたいものです。此度の震災のお見舞うれしく心より御礼申し上げます。弘前は津波の影響もなく、ライフラインのストップも四、五日のみで平常通りの生活を送っております。母校生の写真、加古川の味を感謝致します。これから益々の清流会の発展、ご活躍を北の国から祈ります。

●5月12日 青森県東津軽郡・高17回 青森県の山間部にある当地にも、ようやく桜前線が到来致しました。お見舞い有難うございました。こちらへ避難されている岩手県大槌町の方にもお分けして召しあがって頂きました。とても喜んでいらっしゃいました。後輩の方の元気なお写真は、私にまでエールを送って頂いているようでありがたいです。お忙しい中有難うございました。皆さまによろしくお伝えくださいませ。

●5月13日 仙台市若林区・高11回生 東北大震災から2カ月。当地、直接の被災者の皆さま、震災への思いは残し乍らも復興への動きも見せ始められました。幸い小生は海岸より離れていたため津波被害は免れております。ご安心ください。

本日は誠にご丁重な品。ご恵送賜りありがとうございました。久し振りの故郷の味と家内ともども賞味させて頂きました。清流会の今後益々のご発展を祈念いたし乍ら、取り急ぎ御礼申し上げます

●5月13日 茨城県土浦市・高10回生 先日は、母校生からのメッセージ写真と鬼追い三笠をご送付頂き有難うございました。お陰様で家族ともども怪我はなく、現在は元気に平常の生活を送っておりますのでご安心ください。清流会の益々のご活躍を祈念申し上げます。

● 5月13日 福島県福島市・高24回 懐かしい故郷のお菓子が届きました。帰省中の娘たちと一緒に頂きました。嬉しかったです。

震災から二か月。我が家の周りでは修復工事が少しずつ始まり、徐々に以前の生活に戻りつつあります。原発問題さえ解決すればどんどん進んでいけるのですが・・・。長い道のりになるかと思います。皆さまのお心遣い感謝致しております。

続・母校後輩から、被災地の先輩へ届け!

母校生カレンダー

母校生ポスター

4月末~5月上旬に、今回の被災地にお住まいの同窓生の皆さまへ、お見舞い品と共に「母校後輩からのメッセージ写真」を送らせて頂きました。

この話を知られ感動された福田泰弘氏(高6回・トッパンフォームズ)から、母校生徒さんへのお礼にと、この山田和成氏(高16回)撮影の写真を素に「ポスター」と「母校生カレンダー」に加工制作頂きました。

カレンダーは、撮影に協力いただいた2年生生徒さん320名全員、2年担任の先生10名の方に贈られました。多感なお年頃の生徒さんたちにとっても、学年全員が一堂に会した写真はきっと忘れられない思い出になることでしょう。

”先輩、後輩を繋ぐ同窓生の絆” が強く結ばれた時を刻みます。

被災地・同窓生から、お便り(9)

母校生写真撮影に協力頂いた双葉写真館

●5月10日 仙台市太白区・高5回生 今も変わらぬ女子生徒さんのセーラー服の制服を見て、懐かしさ倍増です。ニシカワパンも東加古川駅前にお店がありました。今年 同窓会で加古川へ帰ります。

●5月10日 千葉県旭市・高14回 津波被害が報じられ、当地の名前も一躍知られましたが幸い大丈夫でした。一度 東京支部総会にも出かけたい。

●5月11日 茨城県取手市・中16回 先日のお見舞い状に続き、本日は心尽くしの郷土の見舞い品を、又、激励文入りの写真をご送付戴きまことに有難うございました。厚くお礼申しあげます。幸い自宅の直接の被害は軽かったのですが、階上階の貯湯機が転倒しそのため水漏れ被害で部屋が水浸しになりました。

今度の震災で”絆”と云う言葉が大きく取り上げられていますが、私も前から感じていましたが加古川東高卒業生の”絆”の強さを今更ながら痛感した次第です。息子達にも自慢したいと思っています。

清流会々員の皆さんのご繁栄を祈念致します。先ずはお礼まで

●5月11日 茨城県守谷市 中12回 この度は結構な物を戴きありがとうございました。幸いにも無事で元気で暮らしております。ありがとうございました。

加古川東高校同窓会ご一同さまによろしくお伝えください。お礼まで

■スタッフ注:双葉写真館さんは、社長・山田和成氏(高16回)、山田育郎氏(高19回)、山田秀樹氏(高21回)と清流会ご一家です。今回、大変にご協力を頂戴しました。

被災地・同窓生から、お便り(8)

ニシカワ食品 鬼追い饅頭

●5月8日 茨城県鹿嶋市・高29回生 このたびは心温まるメッセージに加え結構なものを送って頂きましてありがとうございました。さっそく家内(高32回生)ともどもおいしくいただきました。

あらためて東高の強いきずなを感じ、良い母校を持った思いと、よき伝統を守り続けている卒業生の皆さまおよび在校生それから先生方に感謝するとともに、誇らしく思った次第であります。

当地は東北に比べると被害は軽く家の修理はいくらか残っているようですが、ほぼ普通の生活に戻っております。会社にほうも一時は大変でしたが応急復旧はほぼ完了し生産も通常の9割程度まで戻ってきております。

これからは福島原発がはやく終息し、東北の復興を祈るばかりであります。最後になりますが、今回 いろいろとお骨折り頂いた同窓生の方々、およびニシカワ食品さま、小林さま、本当にありがとうございました。

●5月10日 茨城県守谷市・高22回生 昨日、同窓会からの贈り物を受け取りました。開けてビックリしましたが、震災に遭われた同窓生に対しての後輩諸君と皆さまのご厚志と承りました。清流会の結束と東高諸君のお気持ちに触れ「東高バンザイ!」の心境です。まことに嬉しく有難く頂戴致します。

私の場合、おかげさまにて実質的被害は何もなく、無事でありました。懐かしいニシカワパンの方々や皆様方に、何卒よろしくお伝え頂ければ幸甚です。

●5月10日 仙台市青葉区・高17回生 このたびは結構な品と在校生たちの震災応援メッセージ写真を頂戴し、いたみいります。三笠をなつかしく頂きました。大変ありがとうございました。

3・11の地震以来、余震に怯える日々で、仕事上仕方なく被災を受けた建築物と戦っておりますが、幸い自宅のある青葉区は最小の被害で済んでおります。個々の建築は、それなりに何らかの被災をしており、材料や人の手配の関係上なかなか修復に至らないものがありますが、生活面ではそれほどの不自由はほとんどありません。

宮城は神戸のとき、ペアリングを組み、相互に助け合う約束が出来ていて、大勢の応援団が兵庫県からも来ており、ときおり見かける姫路ナンバーの車に涙する日々でありましたが、一日も早く立ち直って皆さまの応援にお答えできるようにがんばります。心から今回の応援にお礼を申し上げる次第です。ありがとうございました。

なお、ニシカワ食品・西川隆雄さまにもよろしくお伝えくださいますようお願い申し上げます。

被災地・同窓生から、お便り(7)

常磐線特急 ひたち

●5月8日 茨城県ひたちなか市・高11回生 昨日は予期せぬ在校生からの励ましのメッセージと共に、郷土の鬼追い饅頭を送付戴き有難うございました。

写真には震災復興のメッセージが込められており、勇気づけられますが、学年全員が一堂に会した写真も貴重な資料となるものと思います。また 饅頭は美味しく戴きました。有難うございました。

目の前にある自動車用のICを作っているルネサスの半導体工場は震災以降1000人もの人達が昼夜兼行で作業していましたが、一部ラインが動き出したとかで心なしか外来職人が減ってきております。常磐線も4月28日から特急が走るようになりました。

●5月8日 青森県六ケ所村・高5回生 みちのくも桜の訪れがあり春の香りがする今日この頃でございます。本日は思いがけぬプレゼントを頂戴致しました。びっくりするやら嬉しいやら、ただ々感謝の一言でございます。当地は他の三県に較べて被害は少なく、私の住まいする六ヶ所村も海側は当日と翌日の避難はありましたが、さしたる被害はございませんでした。

すぐ近くには再処理工場がありますので地盤がしっかりしております。停電と電話の不通が一日半続きましたが、それ以外のインフラもストップする事なくすみました。近くのスーパーの棚は空っぽになりましたが、昭和20年3月の神戸大空襲を経験した身には何ほどのことと云う思いでした。六十年前の事を思えば現在は手を差しのべてくださる人達も多く、日本は立ち直ることが出来るでしょう。母校から遠く離れている身には何より嬉しい便りでした。

同期生が、自分たちのふるさとはこの同窓会だと何時も話しておりました。孫のような後輩達の元気な写真にも元気づけられました。東京支部にも出席しなくなって久しいですが、このようなお心遣いを頂いて本当に嬉しく思っております。どうぞ皆様によろしくお伝えくださいませ。

●5月8日 仙台市泉区・高21回生 お陰さまで、私共の地域においては、先月上旬には全国からの災害派遣応援部隊さまによりライフラインの全てが復旧し、いつもの生活に戻ることが出来ましたのでご安心ください。

後輩諸君からの激励のエール、ニシカワ食品さまからの心温まる結構なお品に感謝申し上げます。母校のますますの躍進、清流会のご繁栄を心から祈願申し上げます。まずはお礼まで。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(6)

3・11から約2カ月経ちました。その後、寄せられたお便りを、抜粋でご紹介いたします。

(尚 日付けは到着した日です)

●5月6日 栃木県那須湯本町・高2回生 お見舞いの品、ありがたく拝受しました。同窓とはありがたいものですね。若い人たちの写真は、同窓のつながりを如実に知らしめるものとして、これほど強いものとはこのたび初めて知りました。関係のない人たちが聞けば、甘っちょろい感傷と笑うでしょうが、当事者はその感傷に浸れる特権者です。

この度の心温まる贈り物に、どんなににか嬉しくありがたく思っていることか。こんなにご心配いただくのがただただ申し訳なく、恐縮の極みです。どうか、小林義信さん、谷正人先生と高2の諸君、山田和成さん、西川隆雄さんの皆さんに、那須の古い同窓生からの感謝の気持ちをお伝えください。

●5月7日 宮城県大崎市・高25回生 当地では桜の季節も終わりに近づきました。あの寒かった震災の日が遠い昔のことのように思われます。全国、全世界からの励ましと援助で、私の住む内陸部では徐々に日常の生活に戻りつつありますが、震災前と現在との間に空白の一カ月がある酔うな感じがしております。

この度は、「鬼追い三笠」、「京・漬け物」、「母校生からのメッセージ写真」をお送り下さりありがとうございました。故郷を、古都を思い起こす味わいでした。食べ物の味わいは舌でなく心で感じるものだと実感いたしました。私は東北大生の時代に宮城県沖地震も経験しておりますが、今回の震災については前回とは異なり復興は一世代では無理だと感じております。我々の世代が復興の基礎を築き、次の世代につなぐのが役割かと思います。

そのような意味では、後輩の皆さまからの「メッセージ写真」は大きな励みになるものでございます。小林さま、西川さまをはじめ、関係された同窓生の皆さまに厚く御礼申し上げます。私も母校の名に恥じぬよう被災地の復興に尽力して参ります。

●5月7日 茨城県竜ヶ崎市・高17回生 懐かしい三笠をお贈りしていただき有難うございました。皆さまの暖かいお心遣いに感謝致します。近くでは地盤沈下したところもあります。連日の余震に慣れて来ましたが、やはり原子力発電が怖いです。今回びっくりしましたのは、高3回の中西千朗(浜の宮中先生)先輩が50年数年ぶりに電話をかけていただき感激しました。ふるさとからまだ覚えてくださる方がいるということを知り、あらためて加古川東高の卒業生で良かったと思いました。

東京巨大プロジェクト(4)・東急東横線地下化

地下で地上で、シブヤ、ただ今普請中。

一日当たりの乗降客約三百万人、新宿駅に次ぐ国内第二位のターミナル駅でもある渋谷駅。だが乗り入れている4社9路線の各駅施設が入り組んだ駅構造。そんな渋谷駅の抜本的な改良に向けて現在進められているのが東急東横線地下化事業だ。

まず東急東横線・渋谷駅~代官山駅間、1.4㌔を地下化。東京メトロ副都心線・渋谷駅へと繋ぎ、双方で相互直通運転を行う。

完成すれば東武東上線、西武池袋線、東京メトロ有楽町線・副都心線、東急東横線、みなとみらい線、5社6路線が一本になる。

しかし全長わずか1.4㌔とは言え難工事だ。既存の東横線高架橋は1927年(昭和2年)に築造されたもの。その真下で掘削工事を進めながら、同時に高架橋上の既存線は地下新線が開通するまで使い続けなければならない。

このため今回のシールドトンネル工事で採用されたのが世界初となる「複線断面のアポロカッター工法」。ちょうど数字の8の字を横に倒したような形状により、掘削断面を自由に調整し排残土もすくなくなる優れもの。

地下切り替えは平成24年を予定している。見慣れた地上の東横線渋谷駅が見おさめになる日も近い。明治通りの真向かえ、かっての東急文化会館跡地一帯には「渋谷ヒカリエ」が建設中だ。

母校後輩から、被災地の先輩へ届け!

母校生徒さん 2年生(高65回生)全員が、「被災地先輩へのメッセージ写真」に参加してくれました。2年学年主任の谷 正人先生(高26回)が音頭を取って下さり、双葉写真館さん(高16回・山田和成氏)にも全面協力を戴きました。

母校正門前で

先輩の皆さん どうかお元気でいてください。

復興を心からお祈りしています。後輩一同」 と。

本部と連携をとり 「母校生からの写真」「故郷の味」を添えて、東京支部から被災地5県などにお住まいの同窓生・90名の皆さまにお見舞いを送らせて頂きました。

この”故郷の味”はニシカワパンでお馴染みのニシカワ食品さん(高13回・西川隆雄氏、高40回・西川隆博氏)のご好意で提供賜りました。

今、自分たちに出来る事。心の支えに少しでも何かお役に立てればと、松井支部長の提唱を受け支部役員一同で相談し実行させて頂きました。清流会同窓生の皆さまの熱い思いが届きますように。

首都機能移転・続

「加古川遷都論」をご紹介した流れでの続編です。

わが国でも有名な遷都は、昔、日本史の授業で習いましたね。

● 710年(和銅3年) 奈良時代の藤原京から平城京へ。”なんときれいな平城京”

● 794年(延暦13年) 平安時代の長岡京(784年)から平安京へ。”鳴くようぐいす平安京”

● 1192年(建久3年) 鎌倉幕府 ”いい国つくろう鎌倉幕府”

● 1603年(慶長8年) 江戸(徳川)幕府 ”幕府でき人群れ騒ぐ江戸の町”

● 1868年(明治元年) ”一つやろうや明治維新” 実際の東京奠都は翌明治二年です。

「世界における首都移転例」

パターンとして、政権の交代による移転。領土の拡大に応じて移転。新たに計画都市を建設。政治、経済状況の変化によって移転。などがあります。

往年の例

イタリア トリノ→フィレンツェ→ローマ

アメリカ ニューヨーク→フィラデルフィア→ワシントンD.C

近年の例

ブラジル リオデジャネイロ→ブラジリア(1960年)

スリランカ コロンボ→スリジャヤワルダナプラコッテ(1985年)

統一ドイツ ボン→ベルリン(2001年完了)

ミャンマ ヤンゴン→ネピドー(2006年開始)

さて 我が国の首都機能移転論議は、終止符を打つのか。漂流を続けるのでしょうか。