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科学研究にも痛手が

日本最大の研究都市・つくば市も震度6弱の揺れに見舞われた。科学研究の命綱である電源が失われ、世界的な素粒子実験施設も防災研究の中心機関も大打撃を受けた。

高エネ研:素粒子実験のための、電磁石もゆれのため落下した。

国土地理院:全地球測位システム(GPS)も福島県以北のデータが途絶えた。

防災科学技術研究所:緊急地震速報も機能停止。全国の観測網も9割に障害が発生した。

宇宙機構:筑波宇宙センターは、「こうのとり」と「きぼう」の管制室が入った運用棟が被災した。

産業技術総合研究所:高層階で被害が続出。地震研究センターでは、活断層などのデータベースが31日朝にようやく復旧した。

昨年 母校学生さんが訪れた産聡研。そしてJAXAなど、つくばには同窓生が大勢、研究に取り組んでいらっしゃいます。被害に負けずご奮闘を期待します。

東京電力の「大罪」、と題した週刊誌記事の中で

おや々 某大手出版社系・有力週刊誌「3月31日号」で、こんな記事を見つけました。

”佐藤栄作久・前福島県知事が証言する”の中です。そのまま記します。

「2004年12月、私は原子力長期計画策定会議に招かれました。そこで、『フランスでは十六年間、ドイツでは二十年も議論した上で原子力政策を決めているのに、あなたたちは来年結論を出そうとしている。あまりにいい加減すぎる』と噛みついたのです。会議のメンバーは七割くらいが電力関係者なので、私は参加者たちに『あなた方は国からマインドコントロールされているんじゃないか』と糾すと、

タレントで弁護士の○○○○さんから『失礼ね』と吐き捨てられました。これは福島県の議事録にも残っています」

こうして、国と東電が一体となって、ブルドーザーのように原子力政策を推し進めていった。

自分たちだけが絶対正しいという驕り。その大きなツケが、今、我々国民にふりかかる・・・。

と、この記事は結ばれていた。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(4)

3月31日 仙台市若林区・藤本雅之氏(高22回生) 同窓生の方からご連絡を頂きました。「高22回藤本雅之氏 震災後3日ほどして知人に本人と家族は無事との電話があったとのことです。電話はすぐに切れて、家の状況、連絡先等は未だ不明で、その後連絡は付いておりません。新しい情報がくれば、又ご連絡します。」

4月1日 鹿嶋市・谷澤安則氏(高29回)、谷澤(高橋)京女氏(高32回) 同期生の方からご連絡を頂きました。「谷澤です。ご連絡が遅くなりましたが家族全員無事です。自宅は屋根瓦が数枚破損し、柱も少し傾いて壁に少し亀裂が入っておりますが当面の住まいには問題ないようです。ライフラインについては2日程度断水しましたが現在は普通の生活に戻っています。ただし、数キロメートル離れたところでは津波や地面の液状化等で現在も復旧中です。会社のほうも大きな被害を受けて現在復旧中で疲れております。担当の復旧が一段落して26,27日は休んでおりますが26日はほぼ1日中眠っておりました。年齢をとったのと普段身体を鍛えていないためだと思います。今日はかなりすっきりしており余裕もできました。地震当日は携帯電話がつながらず家族の安否確認ができなくなりましたが、携帯メールがなんとかつながることがわかり、助かりました。東北地方ではこちらと比べ物にならない被害の上、原発の問題もあり大変みたいです。はやく原発がおさまってほしいものです。」 ご本人、3月27日のお便りです。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(3)

3月29日 茨城県神栖市・柴田啓二氏(高34回)

「連絡ありがとうございます。勤務先、茨城県神栖市(花王㈱鹿島工場)で被災しましたが、ケガはなく元気です。3月に和歌山への転勤の辞令を受け、引っ越し準備中のことでした。少し遅れましたが、今現在は和歌山への転居をすませました。頑張っておられる同窓生のことを知り、またこのようなお手紙、ツイッター集をいただき、自分のことで精一杯な自分を恥じております。ありがとうございました。」

3月30日 仙台市青葉区・山口(手島)由紀子氏(高18回) 「前略 ご心配頂きありがとうございます。三月初めより両親の世話で横須賀に来て居りますので、十二日に一度仙台へ戻るつもりが前日の大地震で、そのまま滞在しています。仙台自宅は青葉区の山側で被害なく家族も無事です。ガスはまだですが、電気、水道が使えるようになり、食料品、日用品も少しずつ手に入るようになったとのことです。仙台のことも気がかりですが、高齢の両親も支えねばならず、新幹線の再開を待っているところです。被災地の方を思うと胸がくるしくなりますが、まずは自分のしなくてはならないことから・・・・と心をひきしめている毎日です。みんなで力を合わせ「ほっと一安心」をくりかえして復興していきたいものです。どうぞ皆様も体調にお気をつけてください。」

3月30日 青森県東津軽郡平内町・高橋(水野)志保子氏(高17回) 「前略 お忙しい中 お見舞い頂きましてありがとうございました。私達には特に被害はなく、宮城県在住の娘一家が心配されましたが、幸い全員無事でした。電気、水道は復旧しましたが、まだ下水道に不自由している様子です。各地で被災して苦しんでおられる方々を何とかして差し上げたいと思いますが、何も出来ないもどかしさをを感じております。ガソリン不足も解消されましたので、せめてこれからの生活の一助になればと少ないですが、義捐金を振り込む予定でおります。終わりになりましたが、御地にも被害があり、計画停電や水道水の放射能汚染等お困りのご様子、お見舞い申し上げます。ネットが使えない生活環境で同封の皆さまのお声は有難かったです。どうぞ お身体ご自愛くださいませ。合掌」

3月31日 仙台市青葉区・河井隆博氏(高15回) 「早速の地震お見舞い、感謝致します。当方近隣地区は家、家族も無事、昨日ライフラインも通じて元気に過ごしています故、ご安心の程。」

3月31日 福島市北沢・野崎(河原)知子氏(高24回) 「思いもかけぬ清流会・東京支部からのおたより、びっくりすると同時に有難くて胸が熱くなりました。悪夢のような3月11日から半月が過ぎました。<こちらの様子をほうこくいたします。> 我が家のある福島市は震度5強、家の倒壊等は少なく、津波の被害もありません。ライフラインも十日程でほぼ回復しました。現在 依然として食料不足、ガソリン、灯油不足は続いておりますが徐々に改善の兆しも・・・。何よりも今一番県民を悩ませているのは原発問題です。先の見えぬ不安な毎日が続き、ぐったりです。東電、国に対する怒りもピークに・・・!! 一刻も早く終息させてほしい。切に願っております。PS 救援物資等 必要ありません。温かいことばが一番有難いです。

3月31日 仙台市若林区・間処弘雄氏(高11回) 同期生の方から、ご無事だとお知らせ頂きました。

3月31日 竜ヶ崎市・朝藤 久氏(高17回) 同窓生の方から、ご無事だとのお知らせを頂きました。

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(2)

3月28日 福島県相馬市建設部長・小山健一氏(高48回)   「福島県相馬市の小山と申します。この度は、当市に多大な救援物資を送って頂き、誠に有難うございました。相馬市は、海の幸豊富な、伝統古き良き町ですが、今回の災害で、海辺は町ごと津波にさらわれてしまいました。今は、自衛隊や警察、消防、地元消防団と一緒になって、行方不明者の捜索を行いながら、避難所の支援や、仮設住宅建設に向けての調整等を行っているところです。町ごと流され、1,000ha以上が水没するという前代未聞の被災で、捜索や瓦礫の撤去も思うように進まず、町の復興の絵姿もなかなか描くことができていませんが、国交省から出向している者として、国全体のビジョンも見据えながら、相馬市の建設部長として、死力を尽くして相馬市の復興のために頑張りたいと思います。被災地のために、今後もご支援ご協力のほど、よろしくお願いいたします。」

3月28日 仙台市青葉区・竹内朋司氏(高17生) 「前略 暖かい言葉をいただきまして真にありがとうございます。さいわい仙台市内の中心部に住んでおり被害も最小で暮らしております。又、会社(鹿島)からの支給品もありますので、私より被災をされた方に手厚くご支援下さいますよう、お願い申し上げます。ありがとうございます。草々」

3月28日 茨城県取手市・横田博二氏(中16回) 「御見舞有難う御座います。お陰様で小生宅は13Fのマンション(7F)で建物は無疵でしたが、什器の転倒破損で食器の破損、額、人形ケースが毀れた位ですが、最悪は上層階の温水器転倒による水漏れで三日間水漏れが続き、和室、物置が水浸しで、後片付けに難儀しました。人間(老妻と二人暮らし)には怪我がなかったのが幸いです。被災地に住み、被災された先輩、後輩の皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。敬具」

3月28日 茨城県ひたちなか市・岩坂達夫氏(高11回) 「お見舞いありがとうございます。震災の直接的な被害はほとんどありませんでした。停電が40Hr、上水の回復が遅れた(3月22日回復)とは云え、昔使っていた井戸があり、プロパンでしたので日常生活に不自由はありませんでした。入手困難だったガソリン、灯油も出回るようにになって徐々に回復しております。周辺の家屋では棟瓦が落ち、塀が倒れていましたが、後片付けが進んでおります。地盤、地割れなどによりJRの不通、橋の通行止めなどはありますが、常磐線土浦ー勝田間の4月上旬には復旧すると云われています。井戸水の供給、情報の交換などを通じ、近隣の人たちとの連帯意識も進んだと思っております。それにしても、熱い、熱いお見舞文を戴き感激し、この拙文を送らせていただきました。ありがとうございました。3月26日」

被災地・同窓生の皆さんから、お便り(1)

お手紙、メール、電話などでお便りが届き始めています。日付けはこちらでの受取日です。

以下 そのままの原文でご紹介させて頂きます。ご連絡先などについては、事務局までお問い合わせを頂ければと存じます。井上晴視(高7回) 04-7133-5070

3月24日 仙台市太白区・山口真一氏(高21回) 「早速のお見舞い有難うございます。我が家は家族全員無事でした。家屋も若干の損傷程度で、事なきを得ております。幸い、ライフライン(水、電気)も復活して、他の人よりは恵まれた状況で暮らせております。食料、ガソリン入手に困難な状況ではありますがぜいたくは言えません。余震がなかなか収束しませんが、耐え頑張るしかありません。取り急ぎ返信させていただきます。ありがとうございました。」

3月24日 宮城県黒川郡大和町・岡田浩史氏(高30回) 「この度はご丁寧に被災状況確認の連絡をいただき、ありがとうございました。私自身は家族、家とも無事でした。宮城県大崎市の○○○○電気(新幹線古川駅の目の前にある工場です。)に勤めております。会社は倒壊箇所が多く、復旧には時間がかかりそうです。復旧を急ぐものはすでに別の工場に移動を開始したものもあります。また、通勤圏内に津波の地域も含まれるため、社員全体で見ますとご家族を失った方や流された方もおおくおられます。取り急ぎご連絡させて頂きました。」

3月25日 仙台市泉区・小山義次氏(高21回) 「いつもお世話になっています。この度の東日本大地震では、皆様には大変ご心配を頂き、ありがとうございます。おかげ様で家族全員無事です。幸いにも私の住んでいる泉区は津波の影響もなく家屋等の被害は軽微で済んでいます。地震の次の日には電気も復旧しました。水道は、5日ほど断水しましたが現在復旧しています。ガスは、まだ復旧していませんが、今月中には復旧する予定です。(風呂には2週間入っていません)スーパー等での買い物やガソリンは、いまだに行列しなければ買えない状況です。仙台市内においては、若林区、宮城野区の海岸沿いが今回の大津波で壊滅状態です。私の知人にも安否確認が出来ない人がいます。以上、お礼と現況をお伝えします。」小山設計コンサルタント

3月26日 仙台市青葉区・長島富太郎氏(高7回) 「避難所から自宅へ戻りました。電気、水道は来ますがガスは月末位になります。書斎は本箱が倒れたままで、余震が来ると出口が塞がれる危険があり、まだ手がつきません。元気です。ありがとうございました。」

3月27日 仙台市泉区・多田 稔氏(中17回) 「我が家は高台のため津波の心配はありませんでした。電気、水道は来ていますがガスはまだです。元気です。ありがとうございました。」

東京巨大プロジェクト(2)・京急蒲田、連続立体交差

本線・平和島駅~六郷土手駅間4.7㌔、空港線京急蒲田~大鳥居駅間1.3㌔。2015年3月の完成を目指して工事中。東京都・大田区・京急電鉄。鹿島・錢高組。

朝のラッシュ時には1時間の内50分閉まるという踏切。地上面の京急の線路を撤去して高架化し、この事業区間28もある踏切を全てなくする大型工事。

この事業の難しさは、街のど真ん中を走り、線路のすぐそばまで住宅が密集している場所で、どうやって高架化の工事をするかだ。

それを解決するために既存の線路の真上に電車の走行を妨げることなく高架化する「直接高架工法」で進められている。すごいところは地中に打ち込んだ基礎杭の上に柱、柱と柱を繋ぐ縦横の受け梁、そして床面と、あらかじめ製造されたプレキャストコンクリート部材を使用して高架橋を組み立てた事で、これは全国でも初めてとのこと。

立体交差事業に伴い、京急蒲田駅も三層構造(下からコンコース階、上り線ホーム、下り線ホーム)に大改造中。一つのホームから本線の快特、普通、空港線を同時に停車させるため縦列する。新幹線並みの389㍍の長いホームになる。

乗客に見えないところで、土木、軌道、建設、電気などのプロ集団が、英知を集結して取り組んでいる。完成を期待したい。

加古川市から福島県相馬市へ救援物資を送りました

福島県相馬市は、今回の地震による津波で、甚大な被害を受けました。現在、相馬市の職員は総出で被災者支援に奔走されています。加古川市では、相馬市からの要請を受け、3月21日、毛布1,000枚、ふとん100セット、缶詰4,000個、お米1t、アルファ化米5,000食、マスク100,000枚などの支援物資を現地に搬送しました。これらの物資が一日も早く被害にあわれた皆さんに届き、少しでも生活の支えになることをねがっています。

加古川市では地震発生直後から、緊急消防援助隊や応急給水活動隊の派遣、特例市の相互応援協定に基づく支援物資の搬送などを行ってきました。-加古川市広報から抜粋紹介-

●樽本庄一加古川市長(高11回)と立谷秀清相馬市長が知人であり、同市建設部長・小山健一氏(高48回)が清流会であるなどのご縁があり、相馬市から加古川市に対して支援要請がありました。

小山氏は国交省からの人事交流で相馬市へ出向されていて、今回の災害に遭遇されました。今後の復興の要となる要職です。ご奮闘にエールをおくります。

■スタッフ注:オークラ輸送機さんが、物資仕分けにコンベアー(ローラ式)を被災自治体向けに無償提供されています。同社災害対策本部 0120-022-033

東京巨大プロジェクト(1)・首都高中央環状品川線

今 都内の地下で人知れず、大土木工事が進んでいる。大橋JCTから湾岸・大井北JCTまで全長9.4㌔。そのほとんどが地下を通る。

「土木」:シビル・エンジニアリング。すなわち、市民の技術。東京の都市機能を進化させる。

この中央環状品川線は、昨年3月に完成した新宿線を南に延長した区間で大橋JCTからJR大崎駅付近まで山手通りの真下を通り、その先地上に出るまで目黒川の真下を進む。

2013年に大井北までが開通すると、環状線47㌔が全通し、湾岸、常磐、東北、中央、東名道が都心に入らずに通過出来る。例えば新宿から羽田空港までが、都心を経由する現在の40分から20分に短縮する。

採用された「シールド工法」。内径11.5㍍、上下2車線。深さ30~40㍍を1時間3㍍進む。大断面のものとしては世界初。大成・大豊・銭高JV、鹿島・熊谷・五洋JV、大林・西武・京急JVの3JVが担当。

現在、都心での大土木工事は地上に影響を与えず地下深く行われることが多い。人目に触れないところで東京は動いている。

「Jーcolumn」のタイトル写真、変わりました。

もう お気付きでしょうか。加古川の写真に変わりました。

加古川右岸・東神吉町升田あたりから、加古川市街地を望みます。平和できれいな風景をお楽しみください。

http://www.tokyo-seiryukai.jp/jcolumn/