3月29日 茨城県神栖市・柴田啓二氏(高34回)
「連絡ありがとうございます。勤務先、茨城県神栖市(花王㈱鹿島工場)で被災しましたが、ケガはなく元気です。3月に和歌山への転勤の辞令を受け、引っ越し準備中のことでした。少し遅れましたが、今現在は和歌山への転居をすませました。頑張っておられる同窓生のことを知り、またこのようなお手紙、ツイッター集をいただき、自分のことで精一杯な自分を恥じております。ありがとうございました。」
3月30日 仙台市青葉区・山口(手島)由紀子氏(高18回) 「前略 ご心配頂きありがとうございます。三月初めより両親の世話で横須賀に来て居りますので、十二日に一度仙台へ戻るつもりが前日の大地震で、そのまま滞在しています。仙台自宅は青葉区の山側で被害なく家族も無事です。ガスはまだですが、電気、水道が使えるようになり、食料品、日用品も少しずつ手に入るようになったとのことです。仙台のことも気がかりですが、高齢の両親も支えねばならず、新幹線の再開を待っているところです。被災地の方を思うと胸がくるしくなりますが、まずは自分のしなくてはならないことから・・・・と心をひきしめている毎日です。みんなで力を合わせ「ほっと一安心」をくりかえして復興していきたいものです。どうぞ皆様も体調にお気をつけてください。」
3月30日 青森県東津軽郡平内町・高橋(水野)志保子氏(高17回) 「前略 お忙しい中 お見舞い頂きましてありがとうございました。私達には特に被害はなく、宮城県在住の娘一家が心配されましたが、幸い全員無事でした。電気、水道は復旧しましたが、まだ下水道に不自由している様子です。各地で被災して苦しんでおられる方々を何とかして差し上げたいと思いますが、何も出来ないもどかしさをを感じております。ガソリン不足も解消されましたので、せめてこれからの生活の一助になればと少ないですが、義捐金を振り込む予定でおります。終わりになりましたが、御地にも被害があり、計画停電や水道水の放射能汚染等お困りのご様子、お見舞い申し上げます。ネットが使えない生活環境で同封の皆さまのお声は有難かったです。どうぞ お身体ご自愛くださいませ。合掌」
3月31日 仙台市青葉区・河井隆博氏(高15回) 「早速の地震お見舞い、感謝致します。当方近隣地区は家、家族も無事、昨日ライフラインも通じて元気に過ごしています故、ご安心の程。」
3月31日 福島市北沢・野崎(河原)知子氏(高24回) 「思いもかけぬ清流会・東京支部からのおたより、びっくりすると同時に有難くて胸が熱くなりました。悪夢のような3月11日から半月が過ぎました。<こちらの様子をほうこくいたします。> 我が家のある福島市は震度5強、家の倒壊等は少なく、津波の被害もありません。ライフラインも十日程でほぼ回復しました。現在 依然として食料不足、ガソリン、灯油不足は続いておりますが徐々に改善の兆しも・・・。何よりも今一番県民を悩ませているのは原発問題です。先の見えぬ不安な毎日が続き、ぐったりです。東電、国に対する怒りもピークに・・・!! 一刻も早く終息させてほしい。切に願っております。PS 救援物資等 必要ありません。温かいことばが一番有難いです。
3月31日 仙台市若林区・間処弘雄氏(高11回) 同期生の方から、ご無事だとお知らせ頂きました。
3月31日 竜ヶ崎市・朝藤 久氏(高17回) 同窓生の方から、ご無事だとのお知らせを頂きました。
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