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神戸新聞記事 「加古川のベストセラー かこ・スタイル」


神戸新聞東播支社・編集デスクが、かこ・スタを取り上げてコメントしている「1月9日記事・デスク回線」を抜粋でご紹介します。東高ネタの「カコ・コーラ」を核にしながら市民文化を論じ、「文化不毛のまち?加古川」にも触れている。この両文とも筆者は清流会同窓生です。

『加古川市内の書店では今「Kako-style(かこ・スタイル)」が一番売れている。

市民有志78人が取材した同市のガイド本だ。歴史や名所その他の解説も盛り込んだ。内容は濃いが、決して堅くない。町歩きをスタッフ自らが面白がっている。

例えば、カコ・コーラの探索。有名な炭酸飲料に化けそうだが、別物の清涼飲料水がかって加古川東高校で売られていたという。同校OBの編集スタッフ衣笠仁浩氏(55)が、当時の経営者や出入り業者を探し、”都市伝説”のコーラが実際に加古川で製造されていたと確認する。

発刊の経緯をたどると、2006年発行の「新かこがわ事典」に行き着く。衣笠さんら編集委員10人は、発行後につながりが消えるのを惜しみ、「加古川検定」を始めた。受験者を若い世代に広げようと、新しい公式テキストとして、かこ・スタイルが誕生した。持続的なプロジェクトなのだ。衣笠さんは次作に向けて、カコ・コーラの空き瓶を探している。ネタは尽きない。

加古川を「文化不毛のまち」とする、やゆに反論するコラムも載っているけれど、この本こそ市民文化がはぐくんだ果実に思える。』

■ スタッフ注:東播支社編集デスク・宮沢之祐氏、詳細は神戸新聞を。カコ・コーラ 衣笠仁浩氏(高25回)。文化不毛のまち? 岩坂純一郎氏(高20回)。記事、写真は両氏からご提供頂きました。昨年末、12月29日にご紹介した「かこ・スタイル」 地元で評判を呼んでいるようです。

郷土の新情報誌 「かこ・スタイル」 ご紹介 

2010年12月24日発行。加古川の最新情報誌です。

この取材、編集には地元・清流会の仲間たちも大勢活躍しました。

岩坂純一郎(高20)、衣笠仁浩(高25)、吉田実盛(高32)、城 伸幸(高29)、上野あい子(高23)、榎本四方蔵(高第4)、十倉茂明(高9)、三宅隆宏(高14)、西浜彰夫(高10)、中村實男(高5)の方々のお名前がございました。(順不同、敬称略)

あぁ と懐かしい場面、あれっ こんなのになってるのと驚く話。皆さん ご覧になってふるさとの香りを精一杯吸い込んでください。

地元限定販売なのでご購入は発行元まで。定価500円。

発売以来、えらい元気で売れているそうです(笑)。

NPO法人 シーズ加古川 675-0065 加古川市加古川町篠原町111 079-422-0402

ぶらり加古川・・・史跡放浪記(伝・和泉式部の墓)

小倉百人一首の

「あらざらむ この世のほかの思い出に いまひとたびの逢うこともがな」

の作者として有名な和泉式部の墓と伝えられている石造の塔が野口町の旧山陽道沿いににあります。

この塔は十五世紀前半の建立と推定されており、花崗岩製で二・三㍍もの高さがある市内では最大の塔です。県指定文化財になっています。

かって塔の西方に「下居の清水(おりいのしみず)」という井戸がありました。江戸時代の「播州名所巡覧絵図」にも描かれている名所でした。もしかするとイズミ式部(布教のため全国を歩いた、歩き巫女)たちの供養塔かもしれません。

「広報かこがわ・12月号」の内、岩坂純一郎氏(高20回)の担当されている欄から抜粋しました。詳細は公式HP本文をご覧ください。

ぶらり加古川・・・ 史跡放浪記・新井(しんゆ)用水

水を満々とたたえた田で、緑の早苗が風にそよぐさまは、六月の風物詩といえます。しかし瀬戸内気候に属し降水量が少ない当地域の稲作には、かって水を確保することとの悪戦苦闘の歴史がありました。貴重な雨水を有効活用するために数多くのため池が造られ、また用水路が新設されました。新井用水もその一例です。

干ばつから水田を救う農業用水確保のため、播磨町古宮の大庄屋・今里伝兵衛が姫路藩の許可を得て開削工事を行ったのです。八幡町西条(現加古川大堰用地内)にある取水口から野口・平岡・別府各町の農地を潤し播磨町に至る全長十三㌔余りの水路は、延べ十六万人以上が動員されて明暦二年(1656)に完成しました。

水路は十㍍前後の等高線に沿って流れています。取水口と最下流の高低差は約七㍍のほぼ平坦地で、そのうえ途中には逆勾配の場所があって通水は容易ではなかったのです。この課題に対して、流れに勢いをつけるために水路幅を徐々にに狭くしていくなどの工夫がなされています。

このような背景を持つ新井(しんゆ)用水は加古川市の文化遺産ともいえるでしょう。「新井緑道」が整備されており、先人の苦労のあとを感じながら歩くことができます。

「広報かこがわ・7月号」 岩坂純一郎氏(高20回)ご担当欄から抜粋紹介しました。詳細は公式HP・本文をごらんください。

ぶらり加古川・・・史跡放浪記(旧加古川町公会堂)

昭和10年11月(1935年)に完成した 通称・公会堂 は鉄筋コンクリートの2階建て。左右対称のルネサンス風外観の堂々たる昭和初期の公共建造物です。(設計・置塩 章、施工・前川建設)

正面玄関の上には「幾何学模様のステンドグラス」を採り入れた大きなアーチ型の窓、スクラッチタイルを貼った玄関脇、側面の上部を飾る連続したアーチ型窓などがこの建物の優美さを際立たせています。かって白亜に輝いていた公会堂は、まさに加印地区の文化の殿堂でした。

近くに集結していた旧加古川市役所(大正十五年築)、加古川小学校(昭和三年築)と並ぶ昭和の名建築トリオも現在はこれが残るのみ。昭和49年からは加古川図書館として今も現役で雄々しく頑張っています。平成20年に兵庫県の景観形成重要建造物に指定されました。

「広報かこがわ・11月号」の内、岩坂純一郎氏(高20回)が担当されている欄から紹介しました。詳細は公式HP本文をご覧ください。

■スタッフ注:筆者などは子供のころ、この辺りは遊び場で成人式はここでありました。選挙立会演説会、NHKのど自慢や美空ひばりの公演などもありました。前の空き地には街頭テレビがあり、力道山のプロレスの時は黒山の人だかりでした。

旧加古川町役場、旧加古川小学校校舎はいずれも取り壊され、往時を偲ぶよすがもありません。時の流れとは言え旧加古川駅駅舎も今や跡かたなく、旧加古川町の近代化遺産を残そうとする思いはあまり盛り上がらなかったように見受けられますが、これも去りゆく姿へ遠くの地で故郷を眺める立場からの郷愁なのでしょう。

ぶらり加古川・・・ 史跡放浪記(西条廃寺)

印南野平野が一望できる標高約三十㍍の高台に七世紀後半に建築されたと推定されている市内最古の寺院跡があります。昭和三十年代後半の神野団地の造成工事中に発見されました。

学術調査の結果、奈良県の法隆寺と同じような伽藍配置をもつ大きな寺院であったあったことが分かりました。貴重な史料であることから 「西条廃寺」 という名称で兵庫県指定文化財(史跡)になっています。

大陸から仏教が日本に伝わってきたのは六世紀中ごろとされていますが、一世紀を経てこの地方にも仏教が広く浸透していたことを示すものです。

「広報かこがわ・5月号」の内、岩坂純一郎氏(高20回)が担当されている欄からの抜粋紹介です。詳細は公式HP本文をご覧ください。

ぶらり加古川・・・ 史跡放浪記(松めぐり・別府、尾上町)

市の木にクロマツが選定されているように、古くから海岸線沿いは松の名所として有名でした。江戸時代の後期には「播州名所巡覧図絵」や「播磨めぐりの紀」などの旅行ガイドが出版されており、多くの人が松めぐりを楽しんだようです。

例えば長岡藩家老・河井継之助の日記には「明石より浜辺へ出、始に手枕松を見、松原を過て浜の松を見、尾上の松と鐘とを見て高砂に至り宿す」と書かれています。

樹齢約百年の三代目「手枕の松(たまくらのまつ)」は、別府住吉神社の境内で円状に枝を広げています。人がひじ枕をして寝ているような形に見えるところから、別府生まれで著名な俳人・瀧瓢水がこの名称をつけたという言い伝えが残っています。

松林が広がる浜の宮公園は、白砂青松の面影が残っており、かって加古の松原と呼ばれていた一帯の一部分です。公園の北隅に位置する浜宮神社には、樹齢約五百年とされている二代目「鹿児の浜松」があり、菅原道真手植えの松とも伝承されています。

尾上神社には、枝ぶりが約二十mの「片枝の松」三代目と、クロマツとアカマツが幹をひとつにして成長する「尾上の松」が有名です。特にこの尾上の松三代目は国の天然記念物に指定されたほどの名木でした。現在は五代目です。

皆さん 帰郷された折には三か所の名松めぐりをされてはいかがですか。

この ”ぶらり・・・加古川” は、「広報かこがわ・10月号」で岩坂純一郎氏(高20回)が執筆されている担当欄から抜粋ご紹介しました。詳細な本文は加古川市公式HPでご覧ください。

加古川の始まるところ

県下最大の河川 「加古川」 十一市三町を流れ総延長96Kmの大河。その流域面積は兵庫県の21%を占める。

その始まるところをご存知でしょうか。

源流は兵庫県中東部、旧氷上郡青垣町(現丹波市)。但馬、丹波、播磨三国が境を接する粟賀(あわが)山・962mに発し、南流して播州平野を潤し播磨灘に注ぐ。川の水は飲料水のほか、工業用水や農業用水などにも使われ、流域に水の恵みを与えてくれる。と同時に水害も多かったようです。

主な支流としては、柏原川、篠山川、杉原川、東条川、満願寺川、美嚢川があります。

往時の河口は現在よりもずっと西の、旧印南郡伊保村と旧加古郡荒井村(共に現高砂市)の間でした。加古川の流れを境に西は印南郡、東は加古郡と別れ、両方を総称して加印地区と呼ばれていました。

青垣町大名草(おなぎ)地区に加古川の起点標柱がひっそりと立っています。ここから、我々故郷の壮大な大河、加古川が始まっているのです。